2016年9月6日火曜日

82 アルフレッド・ガナチリー 「死者のささやき」

The Whispering Dead (1920) by Alfred Ganachilly (?-?)

ジャンル小説を読んでいると、ときどき無用に筋が引き延ばされた作品に出合うことがある。ある部分までは一定の緊張感をたもって書かれているのだが、急にその緊張の糸が切れ、しどけなく、だらだらと興味のない場面がつづくのである。おそらく出版社に、これでは単行本としては短すぎるなどと難癖をつけられ、作者が予定にはなかった部分を付け足したのだろう。このような出版条件というのはいつの時代にもあるものだ。また、外的制約がかならずしも悪い方に働くとは限らない。たとえば十九世紀には三巻本の長い作品を書くことを小説家は求められたが、才能ある人々はこの条件に対応して、細密な心理描写の技術を発達させていった。

しかしながら一定の長さに達するために、ただ分量を水増ししたという作品も少なからずある。「死者のささやき」もその一つと言わざるを得ないだろう。物語の三分の二は、なかなか見事な推理ものとなっているが、残りの三分の一は、あきらかにそれまでとは質の違う追跡譚になってしまっている。犯人を特定する推理の過程はとっくに終わっているのだが、さらに警察が犯人を追跡する様子が長々と付加されているのである。この作者の文章には荒々しい簡潔さとでもいうべき、不思議な味わいがあって、悪くないと思っていただけに、この構成は残念だった。

事件が起きるのはチリのドイツ大使館である。ある朝、大使と秘書が書記官一人を残して大使館を出た。しばらくすると大使館が猛火に包まれ崩落する。火が消し止められてから消防隊が捜索すると、一人の男の死体が出てきた。大使、秘書、チリ警察は黒焦げの男を書記官であろうと考えた。

この小説の説明が曖昧なのではっきりしたことは言えないのだが、どうやらドイツの大使館はある地方の人々が自分たちの意にそまぬ振る舞いをしたため起訴して牢屋に入れてしまったらしい。その結果なぜか書記官に脅迫状が送られるようになった。彼は火事のあった当日にも脅迫状を受け取っており、怪しげな人間も見ている。そうした状況から考えて、彼に遺恨を持つ誰かが彼を殺し、その後大使館に火を放ったのだろうと考えられた。

しかし警察の中に一人だけ、死体は書記官ではあり得ないと考えた刑事がいた。彼は死体の死後硬直と出火の時間から論理的に死体が書記官ではないと判断したのである。彼がこの推理を証明する過程が、先に私がなかなか出来がいいと言った最初の三分の二である。実際この部分は非常に面白い。一九二〇年に書かれた本作は、まだまだナイーブな謎しか構成していないが、しかし謎を解明する過程、たとえば刑事が推理を組み立て、それを挫折させるような事実にぶつかり、さらにそれを乗り越えて彼が犯人を追い詰める、といったパターンは、現在のもっともすぐれたミステリとなんら変わるところのないものである。この部分は書かれた年代を考えて私は高く評価する。

刑事が決定的な証拠をつかんで真犯人が確定すると、今度はアンデス山中を逃亡する真犯人を刑事が追いかける場面に移行する。空気の希薄なアンデスの山道を馬で移動することがどれほど過酷なことか、それがよくわかる描写になっているが、前半と較べると明らかに質の違う物語が展開されている印象だ。まるでミステリの後にアドベンチャーをくっつけたみたいなのである。

こういう大きな欠点はあるが、しかしこの作品のいちばん最後にはちょっと面白いコメントが付されている。ネタバレにならないように抽象的な言い方をするが、それは犯人の犯罪行為、つまり個人が行う犯罪が、国家の行う犯罪の縮小再生版であるという指摘である。犯人は母国の対外政策、つまり帝国主義的哲学に感動し、自分の振る舞いもそれに合わせようとした。他国の人々に対する彼の態度は、まさに彼の国が外国に対して取る(帝国主義的)態度とおなじなのである。以前このブログでヒュー・ウオルポールの「殺す者と殺される者と」を扱ったとき、いじめられていた人間がいじめていた人間を殺すという個人と個人のレベルの物語は、帝国主義的競争に遅れていたドイツが軍事力をつけ、先行するイギリスを脅かすという、国家間のレベルの物語と相同性を持っていると書いたが、おなじような個と国家のあいだの照応がこの作品にも見られるのである。私が訳したフォークナーの「雲形紋章」においても帝国主義的イギリスの姿がブランダマーという主人公に重ね合わされていた。私はこういう作品を集めて、いつかまとめて論じてみたいと思っている。最近日本の障害者施設で大勢の入所者を殺害した男がいるが、彼は自分の行為は国家の意を受けたものであると考えている。こうした事例は世界を見まわすとたくさんあるのであって、私はそういうことが起こる構造、隠微な形で働いている国家と個人のあいだの力の関係について興味があるのである。