2016年9月26日月曜日

番外18 J.J.コニントン 「復讐」

Grim Vengeance (1929) by J. J. Connington (1880-1947)

以前このブログでコニントンの「博物館の目」を読んだとき、「手堅い」作品だと評したが、その印象は「復讐」を読んでも変わらなかった。いや、いっそう強くなったというべきか。文章には華がないが、事実や要点を過不足なく押さえる堅実さはある。筋の展開のさせ方、伏線の張りようも周到で、作者のあまりの几帳面さにおもわず笑ってしまった。作品の作りは非常に緻密である。本編の主人公サー・クリントン・ドリフィールドも作者と同様に細部にまで注意を払う人である。彼が姪の夫のかばんを開けて中をさぐる場面があるのだが、彼はまずかばんの中の状態を目に焼き付けて、完璧に元にもどせると確信してから、内容物を一つ一つあらためていく。この慎重さが彼の本領である。本編では三つの殺人事件が起きるが、その際にサー・クリントンが披露する推理も、すべての手がかりの意味を慎重に勘案する、沈着冷静な推理だ。彼はけっして結論に飛びつくことはなく、わからないところはわからない、仮説は仮説と、はっきり区別する。派手さはないが、しかし見落としもない堂々とした推理だと思う。とりわけ第一の事件と第三の事件で見せる彼の捜査と推理は見事で威厳すら感じさせる。

ところがこの堅実さはコニントンの限界でもある。彼は事実を論理的に腑分けする能力はあるけれども、人間の心理や感覚のひだに立ち入るような書き方はできない。そのことはサー・クリントンの姪のエルジーが、夫の正体を知って呆然とする場面によくあらわれている。そのありさまを描く言葉がクリーシェ(決まり文句)ばかりなのである。彼女は「膝ががくがくし」、「額の辺りで脈がハンマーのように打ち」、「雷に打たれたように全身がしびれて」しまう。感情の動きを表現する力がないために、コニントンはクリーシェを多用せざるを得なかったのだ。

しかしこういう文章力の欠如は多くのミステリ作家に共通して見られるものなので、私は特別にコニントンを責めるつもりはない。

「復讐」のストーリーをまとめておこう。サー・クリントン・ドリフィールドは遺産を受け継いで優雅に暮らしている富裕層の一人だが、じつは密かにイギリス政府のために働いているスパイである。このクリントンの姪エルジーがこのたびアルゼンチンの男と結婚した。ところがサー・クリントンは、この一見礼儀正しそうな男が、白人女性を南米に連れて行って売り飛ばす奴隷商人であることをつきとめるのだ。姪のエルジーはそのことを知らずに夫の母国アルゼンチンにまもなく渡航しようとしている。ここでサー・クリントンは迷う。もしも自分がなにもしなければ姪のエルジーは悲惨な運命に出遭うことになる。しかし彼女の夫が卑劣な奴隷商人であることを暴露すれば、夫は警察に捕まるだろうが、しかし姪は犯罪者の妻という過去を背負ってこれから生きてゆかねばならなくなる。さて、どうしたものだろうか、というわけである。サー・クリントンが取った解決策はじつに驚くべきものであったが、それは読んでのお楽しみとしておこう。

全体としてよくできた作品であるが、コニントンの美質が全開しているとはいえない。パズル・ストーリーの書き手として大いに実力を持っているようなので、期待してほかの作品も読んでみたい。