2016年9月17日土曜日

86 ジョージェット・ヘイヤー 「なぜ執事を撃つのか」

Why Shoot A Butler? (1933) by Georgette Heyer (1902-1974)

超大物作家の登場である。ロマンスにしろミステリにしろ伝奇小説にしろ、ヘイヤーのあの堂々たる書きっぷりにはいつも圧倒される。天性のストーリーテラーなのだろう。

本編もヘイヤーらしい悠揚迫らざる筆致で殺人事件を展開させている。なによりも良いのは登場人物が誰も彼も生き生きとしていることだ。それぞれ非常に強い個性を持つ存在として巧みに描き分けられている。われわれは探偵役の法律家アンバーリーを、気取った鼻持ちならない貴族、しかしその見かけの背後に情熱を秘めた男として、くっきりした像を思い浮かべることができる。彼の伯父は人のいい、どこか抜けたところのある、今風の言葉で言えば「ゆるい」キャラクターの持ち主である。伯母のほうは心優しい貴婦人なのだが、ぼんやりしているようで鋭い観察力を持ち、また貴族らしい(しかし滑稽な)高慢さをその挙止のはしばしに見せる。事件が起きる僻村の警察官は……という具合で、本編を読む大きな楽しみのひとつは、こうした人物たちがいかに「らしさ」を発揮するかという点にある。

第二に語りが含むユーモアがすばらしい。とりわけアンバーリーが伯父・伯母と交わす会話は爆笑ものである。たとえば伯父・伯母の屋敷に夜間、泥棒が入り、アンバーリーと伯父が被害の状況を調べている。そこへ伯母のマリオンが寝室から降りてきて賊にひっかきまわされた書斎へあらわれる。
 「あら、わくわくするわね。ひどい荒らされよう。片付けをする召使いがたいへんだわ。どうして書斎を狙ったのかしら」
 アンバーリーが頷いた。「伯母さん、そこなんですよ、問題は。ほかの人は問題と思わないだろうけど。ところでなんで顔に白い漆喰を塗っているんです?」
 「フェイス・クリームよ。わたしくらいの歳になると必要になるの。おかしい?」
 「おそろしく不気味ですな」
泥棒に入られて「わくわくするわ」もないものだが、こういう落ち着き・世間離れしたところが貴族なのであろう。またこうした視覚的なユーモアや会話のテンポを見ていると、映画の影響を大きく受けているように感じられる。

逆につまらないところをあげると、それはまさに長所の裏返しである。人物像が類型化しているために怪しい人間は怪しく描かれてしまうのだ。ミステリの常道としていちばん怪しく描かれている人物は犯人ではないから、真犯人はきっとつぎに怪しい人間にちがいない。そうすると……というように考えると、犯人がわかってしまうのである。

もう一つ気になるのは、偶然の出来事がやや多すぎるのではないかという点だ。これは私が説明しなくても気をつけて本書を読んでいただければわかることだし、ネタバレがいやなのでこれ以上は書かないが、しかし偶然を多用するのがメロドラマの特徴の一つであったことは思い出しておいてもいいだろう。

そう、類型的な人物像、メロドラマ的な筋の展開。ヘイヤーは映画的な描写や、スピード感のある語りで新しいミステリをつくろうとしているけれども、しかし私は本質的なところでまだ古い型を残しているのではないだろうか、と思うのだ。いや、案外、だからこそ多くの読者を惹きつけたのではないだろうか。日本でも「水戸黄門」みたいな古い、型にはまったドラマが受けるように、たいていの人は物語に対して保守的な態度を持っているものだ。モダニズムのような実験は、一時的に少数の人々を熱狂させるが、すぐに堪えられなくなって捨てられてしまう。

いやいや、話を戻そう。本編はこんな具合にしてはじまる。ある夜のことだ。法律家のアンバーリーは僻村に住む伯父・伯母そして従姉妹の家を訪ねて寂しい道路を車で進んでいく。突然ヘッドライトの中に、車と、そのそばに佇む女の姿が浮かび上がる。アンバーリーは車が故障でもしたのだろうと、親切心から車を停める。ところが、停まっている車の中には銃で撃たれた男の死体があったのである。女は、自分は殺人とはなんの関係もないと主張するが、なぜこんな辺鄙な場所に来たのか、殺された男とどういうつながりがあるのか、詳しいことを語ろうとはしない。状況から見て女が殺人犯でないことは確かだと判断したアンバーリーは彼女をそのまま残し、村へ行って警察に通報する。その結果わかったのは殺された男がその村の金持ちファウンテン家の召使いだったということだ。しかしなぜ彼は殺されたのか。アンバーリーは警察と共にこの謎を解明していく。

謎解きとしてはさほどの出来ではないが、すでに述べたようにこれはストーリーテリングを楽しむべき作品である。十九世紀に発達した、読者を楽しませる技術が、いっそう洗練された形でヘイヤーの作品の中に結実している。彼女の作品はもっと日本に紹介されてもいいと私は思っている。

(お断り)
最近、記事のアップロードが頻繁だが、実はもう百冊のレビューは終わっている。始めてちょうど一年で予定の冊数を読み終わったのである。多少書いたものに手を入れるので(忘れなければ)二日か三日おきにブログを更新していくつもりである。