2016年9月10日土曜日

83 エイーダ・E・リンゴ 「テキサス殺人事件」

Murder in Texas (1935) by Ada E. Lingo (?-?)

まるで名前を聞いたことのない作者で、インターネットで調べても、どんな経歴の持ち主なのか、ほかにどんな作品を書いているのか、いっこうにわからない。ところが驚いたことに、「テキサス殺人事件」は明らかに水準以上のすぐれたミステリなのである。

石油を発掘して大金持ちになったテキサスの富豪が殺される。その町の若き女性新聞記者であるジョーンは、殺された男の娘に頼まれて、探偵を雇うことになる。それがリチャード・フィールズという青年で、まだキャリアは浅いが、いくつかの難事件を解決していてその名は広く知られているらしい。

ジョーンとリチャードはコンビを組んで事件の解明にあたる。どうやら金持ちの男は女性関係や仕事上の不正な取引をネタに脅迫を受けていたらしい。脅迫の事実がばれることを怖れて、脅迫者は富豪を殺したのではないか。しかしいったい誰が彼を脅していたのか。それを探る最中にも第二の殺人、そして殺人未遂と、被害者が増えていく。

筋は案外単純なのだが、非常によくできている。なにがよいのかというと……先ず第一にペース配分。ミステリには基本的に二つの要素が欠かせない。事件と、その後の捜査である。この二つは読者に全く異なる反応を与える。事件が起きるとき、われわれは非常な緊張感を感じる。それはある種、爆発的で集中的で、こう言ってよければ詩的な瞬間である。一方、捜査の過程は事実の整理、論理の構築についやされる、持続的な、散文的な時間帯なのである。この二つの異なる時間をうまく配分せず、たとえば捜査の過程がやたらに長いと、このブログで扱ったアン・オースチンの「黒い鳩」のように、読者の脳に余計な負担をかけることになったりする。しかし「テキサス殺人事件」では、謎の提示とその解明に向かう道筋がじつにうまく配分されていて飽きることなく、気持ちよく読むことができる。ミステリの展開のさせ方のお手本を示しているといってもいいだろう。L.P.ハートレイの The Go-Between は物語の展開のさせ方が完璧で、作家を目指していた人々は、その語数を勘定してペース配分を学んだという。本書にそこまでの完璧さはないが、しかし充分に参照するに価する出来である。

第二にすばらしいのは、登場人物の性格がうまく描き分けられているという点である。探偵のフィールズは溌剌とした、頭の切れる青年だが、同時に未熟さももっていて、狡猾な容疑者をうまく問い詰めることができずにいらいらしたりする。新聞記者のジョーンズは、いかにも現代的な若い女で、行動力があるが、大不況という現実からなにがしかの世間智を学び取っているのだろう、冷静さも兼ね備えている。彼女の同僚記者ミッチェル・ホワイトは善人なのかもしれないが芯の弱さを持った男として描かれ、ジョーンズ母娘はそこはかとなくふしだらな感じをかもしだしており、保安官のジム・リードはこれぞテキサスの人間といったふうなマッチョなしゃべり方をする。クリーニング屋の黒人女すら、脇役に過ぎないのに、印象深いのである。この作者は一筆書きのように人物の特徴を的確におさえ、表現する力を持っていると思う。

そしてもう一つ感心したのは、女性作家らしい生活の細部への目が光っている点だ。とくにジョーンが自分の家でデザートを食べる場面や、砂嵐に備えて人々が家のまわりを片づける場面に私はそれを感じた。

そして最後にこの一節を紹介しておきたい。ジョーンズが新聞社の編集長の部屋に入ると、そこには当時のミステリの名作が並んでいたのである。
 ジョーンはケイ・クリーヴァー・ストラーンの最新スリラーを手に取り、ミニョン・エバハートの「白い鸚鵡」、フランシス・アイルズの「犯行以前」、そしてレスリー・フォードのすばらしい「メリーランド殺人事件」に目を留めた。ミセス・ラインハートの「アルバム」も見つけたが、そのまま持って行けないことが無性にくやしかった。サタディ・イヴニング・ポストに連載されていたのだが、彼女は途中までしか読むことができなかったのだ。
ちょっと調べたら、この中で翻訳が出ているのはアイルズの作品だけではないか。日本が翻訳天国だなどというのは大嘘である。しかしストラーンの最新作となっているのは何という作品だろう。The Meriwether Mystery (1932) だろうか、それとも The Hobgoblin Murder (1934) だろうか。この人の本は前から読みたいと思っているのだが、なかなか手に入らないのである。そしてレスリー・フォード。なんという偶然だろうか。これは次にレビューしようと思っていた女流作家である。作品は「メリーランド殺人事件」ではないけれど。

しかしそれは、まあ、どうでもいい。本作「テキサス殺人事件」は意想外によい作品で、英語が読める方には一読をお勧めする。