2016年10月8日土曜日

97 ジ・アレスビーズ 「死者のしるし」

The Mark Of The Dead (1929) by The Aresbys

奇妙な作者名で、発音もよくわからない。どういう由来なのだろうか。カリフォルニア大学バンクロフト図書館のサイトにはこの作者が1927年に書いた Who Killed Coralie という作品の粗筋紹介がある。その最後にアレスビーズとは Helen R. Bamberger と Raymond S. Bamberger の合同ペンネームであると書いてある。夫婦でミステリを書いていたのだろうか。

作者は無名だが、内容は滅法面白い。いや、滅法面白いなんてものじゃない。最初の殺人が行われてからは巻を措く能わざる面白さである。面白さという点だけを取れば、このブログで読んだ本の中でも三本の指に入るだろう。goodreads.com を見ると(どんなに無名の作品でもこのサイト見るとたいがい誰かが読んで感想を残しているのだが)なんとこの作者の作品はまだ誰も読んでいないようだ。しかし面白さは私が保証する。英語ができるなら是非一読してもらいたい。私はこれからさっそく Who Killed Coralie を読むつもりだ。こういう本を見つけ紹介できるというのは本当に楽しい。

ただし本作はミステリ仕立てで探偵役もいるが、本当の意味でミステリとはいえない。また、最後に明かされる真相はかなり荒唐無稽で、(人種的)偏見がこもっているとさえ言えるだろう。

本編の主人公はダービーという男だ。彼はサンフランシスコで新聞記者をしているのだが、休暇でハワイ島を訪れることになる。そこにはもう九年もハワイに住み着いている彼の親友コリンズがいて、彼の家でのんびり骨休めをしようというのだ。

友人は医者でかなり大きな屋敷にリチャーズという年配の医者と一緒に住んでいる。リチャーズにはおそろしく美しい娘ルースがいた。

主要な登場人物はこのほかに二三名がいるだけで、犯人当てが目的の作品ならちょっと物足りない感じがするかもしれない。しかし状況設定は凝っている。コリンズたちが住む屋敷は奇怪な声が響いたり、異様なものどもがあらわれる幽霊屋敷で、裏山には死体が埋葬されている洞穴があるのだ。またコリンズとリチャーズ医師は仲違いをして険悪な雰囲気を漂わせ、さらに彼らはダービーにたいして秘密を隠しているような不可解な態度を示す。そしてダービーは屋敷に到着した最初の晩に何者かが悲鳴をあげるのを聞き、かつまた真っ暗な屋敷の中を誰かが動き廻っていることに気づく。翌朝、リチャーズ医師は実験室で殺されているのが発見される……。

話はおそろしく謎めいていて実に面白い。しかし私がいちばん注目したのは「ドラマ=謎」と「ダービー=探偵」との位置関係である。コリンズ、リチャーズ、ルースは明らかに何か秘密をダービーから隠している。いったいそれはなんなのか。ダービーはそれを「外」から探ろうとする。ダービーは常に他の人々の微妙な顔の変化に注意を向ける。
 「もちろんです」とダービーは言った。「今朝会ったミスタ・ペックという人です。ご存じでしょう?」
 リチャード医師の睫毛がほとんど目に見えぬほどのかすかな動きを示した。そして唇がわずかに引き締められた。
この作品は三人称で書かれているけれども、つねにダービーの視点から書かれている。そしてダービーはいつも鋭くコリンズ、リチャーズ、ルースを観察している。表情のほんのわずかの変化から彼らの心理を、彼らが隠している物語を「読もう」とするのだ。
 「どこへ行けば彼女に会えるのです?」その声には差し迫った響きがあった。ダービーは心の中でその差し迫った、鋭い響きにじっと耳をすませた。「彼はルース・リチャーズをよくしっているのだな!」と内面の声が言った。「彼女のことが好きなのだろうか」
ダービーは秘められた物語の外にいて、表情という徴候からその物語を推し量ろうとする。これは立派なミステリの書き方である。

ところが物語の最終盤に入ると、ある出来事をきっかけにしてダービーはドラマの内部に入り込む。ネタバレしないように曖昧に書くが、探偵は友人たちが隠していた秘密を共有することになるのである。こうなるとダービーは「探偵」ではなくなる。探偵はあくまで物語の外側にいなければならないからである。ここから彼は他の人々と同じ次元に立つことになり、物語を探偵として見通すことができなくなる。なるほど彼は殺人犯の逮捕に大きな役割を果たすが、それは偶然にすぎないし、犯人が誰かもわからなかった。物語の書き方もダービーが内部に移行してからは、ミステリ風ではなく、メロドラマ風になる。

このところこのブログでは探偵とドラマの位置関係についてずっと書いている。私はこれはなかなかいい着眼だと思っている。いろいろとミステリを読み返してこの議論がどこまで展開できるか考えてみたいと思っている。とくにハードボイルドが気にかかる。ハードボイルドでは私立探偵がドラマの中に入っていくからである。