2016年10月10日月曜日

99 フォレスト・リード 「春の歌」

The Spring Song (1916) by Forrest Reid (1875-1947)

子供向けのミステリはないかと Internet Archive を探していたらこの本を見つけた。これは奇妙な小説だ。ウエストン家の子供五人、その友だち一人、そして飼い犬一匹が夏休みに繰り広げる冒険を描いているのだが、普通の子供向けの作品よりもシンボリックな書き方がされていて、シンボルとシンボルの連関性を把握しながら読み進めるにはかなりの文学的素養と読解力を要求される。子供向けの本のようなのだが、作者が念頭に置いていた読者は子供じゃないのかもしれない。

また、この本はやんちゃな子供たちを描いているが、後半は不気味なファンタジー、あるいはホラーであって、そこに推理小説的要素が加味されるという、不思議なジャンルの混淆を見せている。かといって作品が分裂しているわけでもない。まことに珍なる作品である。

作者はアイルランド人で、今はもう忘れ去られた作家になってしまったが、生前はジェイムズ・テイト・ブラック記念賞を取ったりして、それなりの評価を受けていた。私は二三冊彼の本を読んだが、いずれも少年が主人公だった。

本編の粗筋をまとめておく。ウエストン家の子供五人が家庭教師に連れられて、アイルランドの祖父母の家で夏休みを過ごすことになる。男の子が三人、女の子が二人だ。ここにペットの犬パウンサーと、長男のエドワードの友人パーマーが加わる。六人の個性豊かな子供たちと、愛嬌のある犬が主人公だ。

この中でいちばん歳上なのはパーマーで十五歳か十六歳くらいと思われる。シャーロック・ホームズやラッフルズの愛読者で、大人顔負けの直感力を持った、冷静で知的な少年である。そのほかのウエストン家の子供たちは、反抗期の少年であったり、おさなさを多分に残した少女たちだ。ただ一人異質なのはグリフィスで、彼は非常に感受性が強く、内省的な少年である。

本編の前半部分は子供たちがクリケットの試合をしたり、即席の芝居を演じたりと、大騒ぎを展開する。ところが後半に入るとパーマーとグリフィスにスポットライトが当てられ、暗く恐ろしい、幻想的な筋が展開する。前半の明るく陽気な物語が、後半になって突然薄闇の漂う内面世界に移行するところは、あざといくらいに印象的だ。

後半でなにが起きるのか言うと……ネタバレになってしまうけれども、こういうことだ。子供たちの祖父は牧師さんで、彼の教会にはブラドレーというオルガン弾きがいた。このオルガン弾きがじつは精神異常者で、かつて妄想にかられて兄を殺したことがあったのである。彼は精神病院を退院したあと、自分の過去を隠して、祖父の教会のオルガン弾きになった。そしてブラドレーはたまたま知り合いになった多感な少年グリフィスに彼の妄想を語り、少年はその恐ろしい妄想のとりこになり、体調をこわし、寝込んでしまうのである。

グリフィスはブラドレーから聞いた恐ろしい話を誰にも話そうとしなかったが、パーマーはホームズ並の直感力と独自の調査でブラドレーの正体を推測し、グリフィスの突然の病いの原因を見ぬく。そして決定的な証拠をつかむために彼はブラドレーの下宿にのりこみ……最後には驚くべき結末が訪れるのだ。

この作品を読んでいるとき、ドイルの「ヴァスカヴィル家の犬」とかジェイムズの「ねじの回転」とかフォークナーの「失われたストラディヴァリウス」など、いろいろな作品を思い出した。たぶんたくさんの先行作品から種々の影響を受けてできあがったものなのだろう。文学は文学からつくられる。

私が興味深く思ったのは探偵の役割を果たすパーマーの、物語の内部における立ち位置である。私は何度も探偵は事件=ドラマの外部に位置すると言ってきたが、それがここでもあてはまる。彼はほかの子供たちの遊びのおつきあいをするが、どこか彼らと距離をおいている。彼が夏休みを過ごすアイルランドの一小村も一歩下がったところから眺めている。彼は作中の子供たちにも大人たちにも依存しない、独立した存在である。だからこそ牧師も含めて村の人にはわからなかったオルガン弾きの正体が、彼にはわかるのである。彼は村で起きている出来事を外形においてとらえることができる。症候としてそれを読み解くことができる。

しかしこういう外部の人間は、内部の人間にはどう映るのだろうか。よく探偵の非人間性が取り沙汰されることがある。探偵は事件の真相を見ぬくことには関心があるが、事件の当事者たちがどうなろうと興味はない。彼は冷酷な観察者ではないか、と。まったくおなじ感想を、夏のあいだ子供たちを受け容れた彼らのお祖母さんが言っている。「パパはパーマーが大嫌い。私は、そうね、子供たちの遊び相手として彼を選びたくはないわね」と言う。さらに「子供たちはみんな彼が好きだわ。(とくにパーマーのことを好いている)アンは彼のためにお祈りを捧げるけれど、でも彼は彼らが好きかしら。たぶんアンのことは好きだろうし、グリフィンのことも多少は好きなんだろと思う。でも親友のはずのエドワードはどうかしら。ほかの子供たちことは? ちっとも好きじゃない。わたしたちのこともよ。彼は足もとでわたしたちが溺れていても、縄一本投げようとしないで観察するでしょう」お祖母さんのパーマーにたいするコメントは、外部の人間が内部の人間にどうみえるのかを的確にあらわしていて興味深い。もうちょっとだけ引用しよう。「パーマーは冷淡なのよ。グリフィンのために彼がしたこと、あれはすべて彼にとっては気晴らしみたいなものだったのよ。わたしは彼が賢明で勇気があるという事実を認めるにやぶさかではありません。でも彼に良心とか道徳心があるかというと、疑問だわ」

本作はミステリなのかホラーなのかよくわからない不思議な作品だが、パーマーによって描かれているものは、あきらかに外部に立つ「探偵」の姿である。