2015年11月1日日曜日

19 ハーマン・ランドン 「後部座席殺人事件」 

The Back-Seat Murder (1931) by Herman Landon (1882‐1960)

中産階級の娯楽として小説が書かれるようになった初期の頃は、まず主人公の家系を説明し、次に主人公の生い立ちを説明し、さらに住んでいる場所の説明をし……というように背景が詳しく描かれ、ゆるゆると物語が展開した。十九世紀も後半に入ると、そういう書き方がまだるっこしく感じられるようになり、まず冒頭で事件(アクション)を描いて読者の注意を惹き、それが一段落ついてから物語の背景を説明するという手法が生み出された。二十世紀に入ると、事件のあとに事件が起き、さらにまた事件が起きと、なかなか物語の背景が説明されない物語も書かれるようになった。このレビューの第二回で扱った「殺人騒動」がいい例である。「後部座席殺人事件」もこの手法を用いていて、全部で二百八十ページほどある作品の、二百ページあたりにきて読者はようやく何が起きているのか、わかるようになる。

何が起きているかわからないからといって、その物語が面白くないわけではない。いや、わからないからこそ、面白い事件(アクション)が次々と展開しなければならない。状況がどうなっているのかわからず、しかも事件が退屈だったら、読者は本を投げ出してしまうからである。

「後部座席殺人事件」はマーシュという男の家の地下室で、住み込みの秘書のハリントンが真夜中に竈から灰を取り出すという奇妙な場面からはじまる。ハリントンは雇い主がムアランドという男を殺し、死体をこの竈で処分したと考え、その手掛かりを探していたのである。そこへ看護婦のラニヤードが突然あらわれる。ラニヤードはマーシュの病気の奥さんの付き人をしている。
 ラニヤード「何をしているの」
 ハリントン「ああ……飾りピンを落としてね」
 ラニヤード「へたな言い訳ね。ムアランドはここで殺されたんだと思う?」
 ハリントン「な、なんだと! き、きみはだれなんだ?」
 ラニヤード「ムアランドはこの家に来てそのあと行方不明。ここで殺されたみたいね」
 ハリントン「ああ、そうだよ」
 ラニヤード「灰の中に何か見つけた?」
 ハリントン「金歯を一本」
 ラニヤード「どう、あなた、わたしを信用して手を組まない?」
 ハリントン「いいだろう。あんたの秘密を探ったり、おれの秘密を話してあんたを退屈させたりはしないぜ」
 ラニヤード「じゃ、わたしたちはパートナーね。あら、あの音はなに?」
というように、正体不明の秘書と看護婦は謎めいた会話を交わす。マーシュやムアランドがいかなる人物なのか、なぜ前者は後者を殺したのか、ハリソンとラニヤードは何を目的にマーシュの家に潜入したのか、そうした説明はまったくないけれど、真夜中の地下室で死体の痕跡を探すという、いかにもパルプ小説っぽいこの出だしはなかなか雰囲気があって魅力的である。このあと第二章からは、たたみかけるようにアクションが展開され、息を継ぐ暇も……いや、タブレットを置く暇もないくらいだ。

「後部座席殺人事件」は一種の不可能犯罪を扱っている。ハリントンは翌日雇い主の命令で検察官の家へ一人車を飛ばす。ところがその途中の森の中で突然車の後部座席に雇い主のマーシュが姿をあらわしたのである! いったい彼はどこから車の中に入ってきたのか。途中で寄った修理店では係員が後部座席のドアを開けてバッテリーを交換したのだ。マーシュが隠れていたならそのときわかったはずなのに。

それだけではない。その直後にもう一つ不可解なことが起きる。秘書のおかしな行動に気づいていたマーシュは、後部座席から彼に銃を突きつけるのだが、ある瞬間急に悲鳴をあげたかと思うとがくりと首を垂れ、死んでしまったのである。見ると首から血が滴っていた。しかし車はドアも窓もすべて閉まっていて、いわば密室状態だった。いったい誰がどうやってマーシュを殺したのか。

事件の全体像は二百ページに至るまでなかなかつかめないが、矢継ぎ早に繰り出されるアクションシーンと、この二つの強烈な謎が読者の興味をがっちりとつかんではなさない。ついでに言っておくと、二つの謎は意外な、しかし合理的な解決が与えられる。手掛かりもちゃんと与えられていて、細心に読めば変装のトリックも見破れるようになっている。パルプ小説と言ってあなどることなかれ。ミステリとしても相当に力の入ったいい作品なのだ。

登場人物もそれぞれに癖があって楽しい。とりわけ小男のターキンがいい味を出している。彼はハリントンを脅して金を取ろうとするケチな脅迫者なのだが、いつも逆にハリントンに蹴飛ばされてひどい目に遭う。また検察官ホイッテカーとその部下ストームのコンビもなかなか面白い。ホイッテカーはおそろしく頭の切れる男で、本編においては探偵役をつとめるのだが、ストームとしゃべるときだけはなんだか調子がおかしくなるのである。緊張感ただよう物語にコミック・リリーフが適度に織り込まれ、私は久しぶりに上質のパルプ小説を堪能した。

このレビューをはじめてこれが十九作目。最初の十作のうちではエセル・リナ・ホワイトの「恐怖が村に忍び寄る」が群を抜いた出来だったが、次の十作のうちでは本作が圧倒的に面白かった。ネットで調べるとまったく無名の作品のようだが、とんでもない話である。充分再評価に価する。