2015年11月4日水曜日

20 A.E.フィールディング 「牧師館にて」 

At the Rectory (1937) by A. E. Fielding (1900-?)

A.E.フィールディングはミステリの黄金期に活躍した作者としてよく知られているが、不思議なことに女流作家であるということ以外、どういう人だったのか、伝記的な事実はあまりわからないらしい。Hathi Trust Digital Library のカタログ・レコードによると生年は一九〇〇年だが、没年は不明である。

本書はタイトルこそ素っ気ないが、当時書かれた典型的な本格もののひとつである。まず序盤で二つの殺人事件が起き、中盤はスコットランド・ヤードによるやや退屈な捜査が展開する。退屈というのは、警察による事件関係者への尋問・取り調べが淡々とつづくからである。こういうのを読むと、最初にレビューしたキャロリン・ウエルズの The Clue などは、こういう部分をうまく処理しているな、と思う。しかし終盤は収束に向けてふたたび盛り上がりを見せる。レッド・ヘリングもたっぷりばらまかれ、犯人の意外性は申し分ない。容疑者は全員女性で、私もこの人が犯人ではないかとあたりをつけていたけれど、彼女を疑う確たる根拠があったわけではない。しかしポインター警部はさすがで、彼女の行為や証言のおかしさに気がついていた。思わず、そこまでは気づかなかったなあ、と嘆息してしまったけれど、こういうふうにうまく騙されるのは快感である。ただしポインター警部の推理はほとんどの場合、演繹的と言うより、直感的に事実を総合していくものだ。

ちょっと気になったこともいくつかある。その第一は、物語の視点に一貫性がないことだ。物語のほとんどはポインター警部の視点で書かれているのに、章の終わりなどでひょこっとそれを離れ、警部のあずかり知らぬ場面が短く描き出される。この書き方にはさすがに違和感を覚える。書き手の作為性があまりにも露骨である。第二に文章がぱさぱさとしていて味気ない。しかし少し前にレビューした The Black Pigeon のヒステリックな、ほとんど錯乱した文章よりは、無機質な文章のほうがましであるけれど。人物も、オリーブ・ヒルという特異なキャラクターを除けば、その描写はやや平板で、後半に「~という振る舞いは~夫人らしい」というような表現が、たしか二つほど出てくるのだが、いずれの場合もその人物の性格がうまく描出されていないために、読んでもすとんと納得する感じがない。

要するにフィールディングは、文章は素人だが、アイデアだけはあるという、ミステリ作家にありがちなタイプの人なのだろう。

物語は二つの事件からはじまる。まず、アンソニー・レベルという金持ちで、やたらと女にもてる独身男性が自分の屋敷内で死んでいるのが発見される。状況から見て、銃の手入れをしている最中に誤って自分を撃ってしまったらしい。

つぎに牧師館に住む牧師ジョン・エーブリーが毒キノコを食べて死んでしまう。これも事故死ではないかと思われたのだが、スコットランド・ヤードのポインター警部は、この二つの事件がいずれも殺人事件であって、両者のあいだに関係があることを突き止める。簡単に言うと、牧師がたまたまある証拠を手に入れアンソニー殺しの犯人を知り、それが故に彼は毒殺されたのである。

アンソニー殺しの犯人を示す証拠。それが手に入れば事件は一挙に解決するが、なかなか見つからない。牧師を毒殺したあと、犯人もその重要手掛かりを取り返そうとしたはずなのだが、状況から判断するに、犯人もそれを発見することができなかったようだ。ポインター警部は推理によってそれを見事に探し当て、事件を解決して見せる。私もそれを読んで、「ああ、隠し場所はそこだったのか」と稚気に充ちた作者のアイデアに感心した。

もう一つ感心したのはオリーブ・ヒルの人物造形である。先ほど人物の描写は平板だと書いたが、オリーブだけは奇妙に立体感がある。彼女は牧師の妹グレースの付き人(コンパニオン)で、アンソニーの婚約者だったのだが、彼が死んでも少しも悲しまない。また神を否定しヒッピー風の生活を唱道するバードという男から強い影響を受ける。ものをくすねる癖があり、あまり教養があるとは思えないが妙に行動的で、悪知恵のはたらく娘だ。古い世代からすると、何を考えているのかわからない現代っ子ということになるのだろうか。しかしなにかしら現状に満足できず、外の世界に飛び出していきたいという衝動に突き動かされる、がむしゃらな若者の姿がかなりうまく描き出されていると思う。