2015年11月19日木曜日

23  R.C.ウッドソープ 「小さな町の死」

Death in a Little Town (1935) by R. C. Woodthorpe (1886-1971)
「小さな町の死」 R.C.ウッドソープ

英国サセックス州チェスワースという小さな町で殺人事件が起きる。殺されたのは町の人から蛇蝎の如く嫌われていた、ボーナーという実業家である。しかしこの作品は、犯人は誰かという謎解きに主眼はない。もちろんそれも興味の一つなのだが、それよりも殺人事件に対する人々の反応や、それをきっかけに明らかにされる関係者たちの秘密のほうにより力点が置かれている。

私が面白いと思ったのは、この作品の中に描かれる二つのお茶会がいずれも失敗に終わっていることである。小さな町の住人たちはお互いに相手の家を訪問し合い、絆を深め合う。それは円滑な社会的関係を営むための儀式と言える。それが滅茶苦茶な結果に終わると言うことは、つまり小さな町のネットワークにひびが入っていることを示している。

作家の妻であるメアリ・ホルトは、昔教師をしていた老婦人ミス・パークスの家を訪ねる。ミス・パークスはラムゼイ・マクドナルドという名前のオウムを飼っていて、これがろくでもない言葉ばかりを繰り返す。そのためミス・パークスは訪問客があると必ず鳥籠にショールをかけてオウムを黙らせることにしているのだが、なんとこのショールがお茶の途中でとれてしまうのである。その途端にオウムは「この女、まだいやがるのか!」と言うのだ。

オウムは機械的、白痴的に言葉を繰り返しているにすぎない。しかしときどき偶然が作用して、それが不愉快な真実として人々にヒットし、スムーズな人間関係を構築しようとする営みを破綻させてしまう。

もう一つのお茶会は、今度は現役の女教師、ケート・マーチンデイルの家で開かれる。その席には都市区委員会のお偉方や牧師やケートの恋人ソーンヒルがいた。ここでトラブルを起こすのはオウムではなく、恋人のソーンヒルである。彼は自分の所有する土地の一角にヌーディストの保養施設をつくる計画を語り、一座を恐慌に陥れる。当然のことながら、このあと彼はケートから絶交の手紙を受け取ることになる。ソーンヒルはなぜ恋人の怒りを買うことを承知で、そんなことをしたのだろうか。ネタバレになるけれども言ってしまおう。彼が殺人を犯したからである。彼は決して実業家のボーナーを計画的に殺したのではない。まったくの偶然に殺してしまったのだ。彼はケートと結婚すれば幸せな生活が送れると考えていた。しかし犯罪を犯してしまった今、たとえ警察に捕まらなかったとしても、ケートとの結婚生活はつねに暗い影に脅かされることになる。それならばいっそのこと彼女との仲はこわしてしまったほうがいい。そう考えて彼は、わざと非常識な振る舞いをし、ケートを怒らせ、彼女に婚約を破棄させたのである。

ソーンヒルは自分がチェスワースというネットワークの中に安住できない異分子であることを悟り、わざと混乱を招く行為をしてコミュニティーを出ていく。しかし強調しておくべきは、彼が異分子的な存在になったのは、偶然であったという事実だ。決して意図的に反社会的な行為をしたわけではない。(非意図的な)偶然が作用して反社会的な存在と化してしまうのは、ソーンヒルだけではない。マイケルもそうだ。

メアリ・ホルトの夫、小説家のマイケルは以前ある女と結婚していた。二人は喧嘩をし、女は家を出て行った。しかし二人は離婚はしていない。そんなときマイケルは彼女が火事で焼死したという記事を読む。本当はそれは間違いで、彼女は大やけどをしながらも生きていたことがわかるのだが、マイケルはその訂正記事を読まなかった。そのほんのちょっとの偶然から、彼は重婚の罪を犯してしまうのである。

またミス・パークスにはロバートという兄弟がいる。彼は人当たりのいい、教養豊かな紳士なのだが、ときどきおかしな発作に襲われる。人前だろうがどこだろうが、突然服を脱いで素っ裸になり、まわりの人をパニックに陥れるのだ。ロバートは意識的にそんなことをしているのではないのだろう。ふと心に空白があらわれ、気がついたら裸になっている。おそらくそんなところではないだろうか。風紀を乱す彼の行為は、しかし彼の意図するところではない。

元教師のミス・パークスは誰に対しても真実を言わずにいられない。それは彼女の身に染みついた性癖なのである。そして真実を言う人は好かれないのだ。「他人のように不快な事柄を覆い隠したり、酌量したり、相手の気持ちを考えたり、愛想のいい偽善者を演じる」ことができないために、新しい友達ができず、彼女はひどく寂しい人生を送ることになる。彼女もある意味では不愉快な真実を言うオウムと同じなのである。

「小さな町の死」はこんな具合にエンディングを迎える。
 ミス・パークスのそんな思いはオウムによってさえぎられた。この鳥は彼女をしばらく見つめたのちに、とうとうしゃがれた声でこう独りごちたのだ。「人生ってな、ひどいものだな」
 ミス・パークスは無意識のうちに赤いショールに手を伸ばし、鳥籠を覆おうとした。
 しかし考え直した彼女はその手を引っ込めた。
 この鳥はときどき的を射たことを言う。不愉快な真実を語るからといって、どうして彼女にオウムを罰する権利があるだろう。
我々は一人一人が社会的ネットワークを構成する一員であり、そのネットワークの中で快適に生きていくために人々との関係を円滑に保とうと努力するけれども、同時にちょっとした偶然から、あるいは個人の意図を越えた何かが作用して、そのネットワークに齟齬をもたらすような何らかの要素をも持つようになる。どんなに対人関係のスキルに秀でた人でもそうなのだ。われわれは偶然の作用から逃れることはできない。私はこの作品をそれほど上等のものとは思わないけれど、「人生ってな、ひどいものだな」という感慨にはまったく同意する。