2015年9月2日水曜日

番外1 ジョン・ミード・フォークナー 「雲形紋章」

The Nebuly Coat (1903) by John Meade Falkner (1858-1932)

プロジェクト・グーテンバーグ所収

フォークナーが紋章、建築、音楽、宗教に関する蘊蓄を傾けて書いたゴシック・ミステリで、ドロシー・L・セイヤーズなどに多大な影響を与えた一作である。フォークナーはもともと実業家であって小説は余技に過ぎない。しかし彼の作品はいずれも光るものを持っている。

1 あらすじ

物語はロンドンのとある建築会社から、若手の建築家ウエストレイが、カランという田舎町に派遣される場面からはじまる。カランというのはドルセットにあるさびれた港町で、観光に訪れる人もなければ、地域の経済を支える産業もとくにないという、うらぶれる一方の場所である。しかしここには歴史的に貴重な大聖堂があって、若いウエストレイはその修復工事のために赴くことになったのだ。

Steve Savage Publishers版。楯に描かれた波線模様が雲形紋章。



















工事を指揮しながらカランに住むようになったウエストレイは、奇妙な噂を聞くことになる。カランには、その町の最有力者として尊敬されているブランダマーという一族がいる。十六世紀の宗教改革の頃からつづく由緒ある一族で、大聖堂にはその名を冠した側廊があり、ステンドグラスにはその一族の紋章、本書のタイトルでもある「雲形紋章」が描かれていた。この一族はつい最近、代替わりをしたばかりだった。先代のブランダマー卿が高齢で亡くなり、その孫が新たなブランダマー卿となったのである。ちなみに先代のブランダマー卿の息子は、海で溺れ死んでいた。ところが、カランの町には、その孫にはブランダマー卿の地位を継ぐ権利はない、権利があるのは自分であると主張する者がいたというのだ。それが、ウエストレイが泊まっていた下宿屋の娘(アナスタシア)の父マーチン・ジョウリフだった。

筋書きがあまり長くならないようにここで話をはしょるけれども、マーチン・ジョウリフの主張は正しかった。じつはマーチン・ジョウリフの父親は、高齢で亡くなった先代のブランダマー卿だったのである。ブランダマー卿は若いときにマーチンの母親と結婚していたのだ。しかしそれは秘密裡にとりおこなわれたために誰もその事実を知らなかった。その後二人は別れたのだが、肝心な点は、結婚自体は法律的にずっと有効なままだったということだ。ブランダマー卿はべつの女性(世間からブランダマー夫人とみなされていた女性)と結婚したものの、そちらの結婚は法律的効力を有せぬために、彼らのあいだに生まれた子供も、その孫も、当然ながらブランダマー卿の地位を継ぐ権利を持っていないのである。

しかし執念深く記録をあさってこの秘密の核心に近づきつつあったマーチン・ジョウリフは殺されてしまう。間違って薬を飲み過ぎたのが死因と見なされたが、実は殺されたのだ。そしてマーチン・ジョウリフの死後、彼がかき集めた資料を読んで同様に秘密の核心に迫ったオルガン奏者シャーノールも殺される。彼は事故死と判定されたが、本当は撲殺されたのだ。殺したのは新しいブランダマー卿、つまり先代の孫に当たる男が殺害したのである。もちろん自分が偽のブランダマー卿であることを暴露されないように、だ。

若き建築家ウエストレイはカラン滞在中に、ブランダマー家の秘密のことも、ブランダマー卿の人殺しのことも知り、その確実な証拠も握った。そしてウエストレイはそれをブランダマー卿に突きつけるのだが……しかし彼は証拠の品をブランダマー卿に渡してしまい、自分はあなたを告発しない、聖堂の修復工事から手を引き、会社もやめるつもりだ、と言うのである。ブランダマー卿とのそれまでの交友、ウエストレイが愛した女性(宿の娘アナスタシア)が、そのときまでにブランダマー卿の妻となっていたという事実、そうしたことが彼の決心をにぶらせてしまったのである。

その決定的な対決が行われた日の翌日のことだ。カランの精神生活のシンボルとも云える大聖堂の巨大な塔が崩壊した。崩壊の直前、塔を検査していたウエストレイは、ドアが開かなくなり、鐘楼から出られなくなる。彼の必死の叫び声を聞いてブランダマー卿はテコを手にして、崩れかけている塔に飛びこみ、ドアを開けてやる。ウエストレイはだれが助けてくれたのかもわからぬまま、ドアを飛び出し、聖堂を抜け、外に出る。ところがブランダマー卿は急ぎもせず、慌てもせず、いつもの修復工事の視察から帰るかのように階段を降りた。そのとき、鐘の音は入り乱れ、大砲のような轟音がし、地を揺るがす震動が走ったかと思うと、白い埃がもうもうと立ち上って塔は崩れ落ちたのだった。ブランダマー卿は崩壊した塔とともに、その生涯を閉じた。

2 接ぎ木の問題

建築の本をいろいろと読んで知ったのだが、ゴシック建築で有名な教会は、建物のすべてがゴシック様式で建てられているわけではない。補修や建て増しをする際などには、その時々の建築様式が取り入れられるのだそうだ。

カランの町の大聖堂にも建築様式の混淆が見られるが、中でもとりわけ注目しなければならないのはアーチと塔の関係である。まず千百三十五年にノルマン様式のアーチが建てられ、後代になってゴシック様式の巨大な塔がその上に載せられた。ノルマン様式のアーチは頑丈ではあるけれど、それを造った建築者たちは、塔がその上に積み上げられることは予想していなかった。つまり、塔はアーチの上に「接ぎ木」されたのである。そのためアーチに思わぬ負担がかかり、塔は結局崩壊してしまうのだ。

本来載せられるべきではないものが土台の上に載っているという、この関係に着目してほしい。

ブランダマー卿の地位は、十六世紀から正当に継承されてきたが、それが先代のブランダマー卿の無分別な結婚によって途切れてしまう。新しいブランダマー卿はその地位に就く正当性を持たない偽物であり、偽物なのに正統の系譜の上に鎮座している「接ぎ木」のような存在なのだ。

カランのシンボルとも言うべき聖堂の塔と、カランの支配者であるブランダマー家のあいだにはアナロジーが存在している。

本書の初めのほうでオルガン奏者がウエストレイにこう語っている。

きみは物とか場所が人間の運命と固く結びついている、なんてことを考えるかい。どうもこのおんぼろ礼拝堂はわたしにとって命に関わる場所のような気がする。

これはブランダマー卿と聖堂の関係を見落とすなと注意を呼びかけているのである。

大聖堂の塔と新しいブランダマー卿のパラレルな関係が理解されれば、クライマックスにおいてブランダマー卿が崩壊する塔の中で死ぬのは物語論的必然であることが理解されると思う。

3 帝国主義

塔の崩壊、ブランダマー家の権威の失墜によってあらわされているのものは、イギリス帝国主義の衰退ではないか、というのが私の見立てである。

巨大な塔を背負うアーチは、本来自国の領土ではない植民地をますます拡大させ、背負い込もうとするイギリスの姿を容易に想起させる。十九世紀に入ってからイギリスは植民地を増やした。しかし常備軍を維持し、膨大な数の退役軍人に恩給を支払うために、多大な経済的負担に苦しむことになった。塔を載せることなど予定せずに造られたアーチが、巨大な重量に耐えかねて、ひび割れし、ぐらぐら揺れる様子は、十九世紀イギリスの現実とぴたりと重なっているように思える。ジョン・ブルが地球を背中に背負い、その重みに苦しんでいる姿は漫画にも描かれた。

イギリスのアトラス、あるいはジョン・ブル、平時編成軍隊を支える
ナポレオン戦争後のイギリスを諷刺した漫画。ジョン・ブルの頭の上には「13万の兵士からなる常備軍、おびただしい数の参謀」とあり、ポケットには未払いの請求書が詰まり、下に落ちている紙には軍隊がいかに金がかかるかと言うことが説明してある。チャールズ・ウィリアムズの作品。


















 ジョン・ブル「重いかって? そりゃ重いさ。しかし栄光のことを考えてみろ」
ボーア戦争の際、イギリス国民に課せられた付加税を揶揄している。右の人物はチェンバーレイン。左の板には「ボーア戦争の費用、五億ドル」。R.C.ボウマンの作品。
















ブランダマー卿をイギリス帝国に見立てることは少しも無理なことではない。久しぶりにカランにあらわれた新しいブランダマー卿はヴィクトリア女王の姿に比されているのだから。

聖歌隊席の反対側から彼を見ると、その姿は素晴らしい一幅の絵になっていた。黒いオークでできた修道院長ヴィニコウムの席がちょうどその額縁の役割を果たしていた。頭上には天蓋があり、その先端は葉飾りや頂華に飾られ、座席の木の背板には楯が描かれていた。よく見るとそれは緑色と銀色の雲形線を持つブランダマー家の紋章だった。恐らくそのあまりにも堂々とした風采のためなのだろう、赤毛のパトリック・オブンズはちょうどその日手に入れたオーストラリアの切手を取り出し、王冠をかぶってゴシック風の椅子に座るヴィクトリア女王の肖像を隣の少年に指し示した。

ヴィクトリア女王が領土を拡大しつつあった十九世紀イギリスの象徴であったことは言うまでもない。ブランダマー卿の堂々たる姿は、まさにその女王にそっくりだった。

また、この物語の中で「アーチは決して眠らない。彼らはわれわれの上に背負いきれないほどの重荷を載せた。われわれはその重量を分散する。アーチは決して眠らない」という句が何度も繰り返されるけれど、「アーチは決して眠らない」という言葉はなんとなく「太陽の沈まぬ帝国」を想起させはしないか。

つまり塔の崩壊、ブランダマー卿の権威の失墜を通して、「雲形紋章」はイギリス帝国主義の没落を示しているのではないか、というのが私の解釈だ。

もしも私の解釈が正しいのなら、「雲形紋章」は一見して地方の生活をリアリスチックに写し出した作品のようでいて、じつはイギリスの運命を二重写しに描いた、暗示的な小説ということになるだろう。大聖堂の鐘の音が、なぜか鎮魂歌のように胸に響いてくる作品だと思う。