2015年9月16日水曜日

8 ヴィクター・マクルーア 「ドアの向こうの死」

Death Behind The Door (1933) by Victor MacClure (1887-1963)

ミステリにおいて建築物は大事な役割を果たすことが多い。

以前、私はジョン・ミード・フォークナーの「雲形紋章」を紹介したが、そこにおいてカラン大聖堂の建築学的「接ぎ木」構造が、その土地を支配するブランダマー家の家系の「接ぎ木」構造を暗示しているのだと書いた。カランの社会の隠された秘密が建築物によって堂々と人々の目の前にさらされていたのだ。オルガン奏者やマーチン・ジョウリフのように古文書を必死になってあさらなくてもいい。真実は物質的な外形にあらわれている。

メアリ・エリザベス・ブラッドンの「オードリー夫人の秘密」を訳した際、私は小説の中に出てくる二つの建築物に着目して解説を書いた。いつか別の機会に番外編で書こうと思うけれども、私はこの二つの建築物に「オードリー夫人の秘密」を構成する二つの論理が明快に表現されていると考えた。

「ドアの向こうの死」にもきわめて興味深い建築物が登場する。一言で言えば、それは男同士の友情、男同士の共同体を表現したものなのである。女性的な装飾性を一切排し、簡素で禁欲的な構造を持つ屋敷、まるで地面の下から生えてきたように見えるくらい、周囲と調和した家、スコットランド・ヤードの名警部アーチー・バーフォードが一目見てそこに住みたいと思うような、完璧な「男の」建築物なのだ。

この屋敷を設計したのはルーパート・カイルという男だった。彼は浪費癖もあって、金銭的には恵まれない生活を送ってきた。いろいろな職業を転々とし、今は推理小説も書いている。彼を金銭的な面で援助してきたのが屋敷の主グレイム・ウエイクリングで、ルーパート・カイルは彼に非常な恩義を感じている。

ルーパート・カイルは世間的には名を知られていないが、しかし一個の芸術家である。そして芸術家の例に漏れず、ある強固な信念を持っていた。彼は、男同士の共同体とその純粋性をこの世の最高のものと考え、女性を蔑視していたのである。

この作品はアリバイ崩しが主眼になるから犯人の名前を言ってしまってもいいだろう。
事件は、ルーパート・カイルが、自分の創作物である屋敷に女性的な要素を付け加えられることを絶対的に拒否したことから起きる。彼は彼の親友であるグレイム・ウエイクリングのためにこの屋敷を設計した。ウエイクリングが住む場所としてこの屋敷は完璧であるし、ウエイクリングもここを気に入っている。しかしウエイクリングが死んだら屋敷は縁者の女性エドナ・ケインの手に渡ることになる。あるいはウエイクリングがケインと結婚するという事態に立ち至る可能性もないわけではない。しかしいずれの場合においても屋敷は女性によって変更を加えられ、男性原理は乱されるだろう。女性を男性よりも一段低い存在と見なす建築家にはそれが耐えられなかった。男を悩ます女、男の純粋性を汚す女が許せなかった。

そこでルーパート・カイルはエドナ・ケインを殺そうとして屋敷のクロークルームに細工をする。ドアを開けるとライフルが倒れかかり、思わず彼女がその銃口をつかんだとたん、つまり銃口が彼女の体に向かっている瞬間に、床の裂け目から通した紐で地下室にいるカイルが引き金を引くという寸法である。それがうまくいけば彼女の死は自殺か事故死にみせかけることができるはずだった。ところが計画は破綻した。エドナ・ケインはクロークルーム来ず、かわりに彼の親友であり、屋敷の持ち主であるグレイム・ウエイクリングがドアを開けたのだ。カイルは男の共同体の純粋性を保とうとして、逆にそれを破壊してしまったのである。

もちろんここに単なる女性蔑視、ショービニズムの個別的実例を見てはいけない。男と女、陰と陽というものはアリストテレスの昔から哲学的主題だった。シェイクスピアもたとえば「冬物語」においては、ユートピア的男性共同体と女性との関係を問題にしているし、先ほどちらと名前を出した「オードリー夫人の秘密」も男性的な原理と女性的な原理の対立を描いていると見ることも可能だ。この屋敷の問題性は哲学、文学、社会学など多方面にわたる歴史的な議論と関連させて考えるべきものだろう。ついでに言うと、「オードリー夫人の秘密」を読みながら私が考えたのは、女性原理なるものは男性原理が行き詰まった地点に捏造されるものではないかということだ。

私にはこうした興味があるので「ドアの向こうの死」を非常に面白く読んだ。

この作者の本名はトム・マックウォルター(Thom MacWalter)といって探偵小説やスリラー、さらにSFも書いている。すばらしい文章家だ。とりわけスコットランド・ヤードの警部アーチー・バーフォードがこの事件を他殺であると証明するくだりは圧倒的な迫力である。事実と事実を論理によって結び合わせ、疑問の余地のない結論へと導いていく手際のよさは、作者が並の書き手ではないことを証明している。

さらにこの作品が通常のミステリの展開をわざと踏み外している点もよい。アーチー・バーフォード警部はルーパート・カイルこそ犯人に違いないと考え、その証拠を必死になってかき集めようとするのだが、結局彼は失敗するのだ。彼の犯罪を物的な証拠によって証明することができなかったのである。バーフォード警部が捜査の結果を上司に報告し、上司が警部を「仕方がないね」と慰める場面を読んだとき、私はショックを受けると同時に、その新鮮さにさわやかな風が吹き抜けたような気分になった。この作者の作品は必ずすべて読まなければならない。