2015年9月19日土曜日

10 ハロルド・マクグラス 「青いラージャ殺人事件」

The Blue Rajah Murder (1930) by Harold MacGrath (1871-1932)

ハロルド・マクグラスの「御者台の男」という小説には次のような場面がある。ある金持ちのお嬢さんの持ち馬の一匹が突然暴れだし、厩舎の男たちは誰一人それを鎮めることができない。そこに最近厩務員になったばかりの若い男が登場し、その胆力と勇気で見事に荒馬を取り押さえ、手なずける。それを見ていた金持ちの生意気なお嬢さんは「やるわね」とその男に惹き付けられる。

さて本書「青いラージャ殺人事件」は次のようにはじまる。主人公である若い男が川で鱒を釣ろうとする。それをその川の所有者である若い女がこっそり見ている。男は彼女の目の前でこともなげに「川の主」と呼ばれる巨大な鱒を釣り上げる。女は「わたしが何度も釣り損なったあの魚を!」と愕く。

ハロルド・マクグラスは動物をダシにして人間の男と女を引き合わせるのが好きらしい。

それはともかく、私がこの冒頭のエピソードを読んで思ったのは、これはミステリの筆法ではないということだ。本書はザ・クライム・クラブから出されたものだが、明らかにロマンスかロマンチックな冒険小説の書き方をしている。

ハロルド・マクグラスは一八九九年に「武器と女」という作品を出して以来、ロマンスや冒険小説を書き、ベストセラー作家としての地位を築いてきた。しかし彼が書くものはメロドラマであって、一九三〇年にダブルデイから出た「青いラージャ殺人事件」はザ・クライム・クラブの一冊とはなっているものの、ミステリ的な要素を軽く添えただけの古い冒険小説と言っていいだろう。

しかし物語の最初でそれがわかったのはもっけの幸いだった。ああ、そういう話なのね、と覚悟を決めて読むことができたからだ。覚悟さえできていれば「彼女はキスを盗まれたのに、相手の頬に平手打ちすら加えなかった。なぜなら彼女は彼を愛してしまっていたからである!」みたいな文章を読んでも本を、いや、タブレットを壁に向かってぶん投げることはない。

この作品は前後二つに分かれている。前半部分は主人公のジョン・ウィラードが、青いラージャと呼ばれるインド由来の宝石をとある金持ちから盗み取る話だ。いや、盗み取るというのはちょっと違う。なぜならその宝石はもともとウィラードの父親が所有していたもので、それを父親の親友だった金持ちが勝手に持っていってしまっていたのである。ウィラードは自分の正体を隠して金持ちの家に行き、夕食の席で見せられた本物の青いラージャを手品師よろしく偽物とすり替え、その晩こっそりと車で逃げ出す。

ところが、その車の音を聞きつけて寝室から出てきた金持ちの娘エルジー(鱒釣りの場面に登場した女だ)は、青いラージャを納めた金庫の前に、父親が死んで横たわっていることを発見する!

当然、この状況なら、誰もがこう判断するだろう。金庫を開けた金持ちをウィラードが殺害し、青いラージャを盗んで車で逃げた、と。警察は殺人事件として大々的な捜査を開始する。

あまりにもくだらない話だからばらしてしまうけれど、真相が分かってみれば、体調の悪かった金持ちは金庫を開けたときに急死し、倒れたときに火かき棒に頭をぶつけ、あたかも誰かになぐられたような外傷がついたというだけなのだ。ウィラードは宝石の正当な持ち主ということがわかり、さらに美しい娘エルジーと結婚し、すべてめでたしめでたしで前半は終わる。ばかばかしい。

後半部分では、ウィラードが青いラージャを盗まれる側にまわる。青いラージャなど銀行にでも預けておけば安全なのに、愚かしくもウィラードはニューヨークの自宅の壁金庫にそれをしまっていた。それに目をつけた悪党どもは、ウィラードもエルジーも召使いもみんな捕らえて縛り上げ、悠々と壁金庫を壊して青いラージャを盗んでいく。しかし最後にエルジーが意外な告白をし……まあ、そこは読んでのお楽しみにしておこう。

正直に言って、この本を真面目に最後まで読むのは苦痛だった。知的な刺激がまったくないわけではない。たとえば冒頭の鱒釣りの場面で、ウィラードは川の主を釣り上げた瞬間にエルジーに声を掛けられ、びっくりして愛用のパイプを落とし、なくしてしまう。これは彼にとっての「好ましいもの」が、パイプからエルジーに取って代わられたことを暗示している。「好ましいもの」という位置に置かれていたものが、玉突きの玉のように別のものに置き換えられたのである。後半部分を読むと、「好ましいもの」の位置にいたエルジーがいつの間にか青いラージャに取って代わられていることが分かる。エルジーがいつも鬱々としているのはそのためだ。後半は青いラージャの争奪戦のように見えるが、本当の主題は「好ましいもの」の位置をめぐる、宝石とエルジーとの戦いである。配置をめぐる争いという観点から読めば多少はこの物語に興味が持てるかもしれない。しかしそれでも私はロマンスが苦手だ。

アメリカの女性はこの手のものが大好きで、知り合いの中には分厚いロマンスのペーパーバックを、いつも鼻を突っ込むようにして読みふけっている人もいるんだけれど、飽きが来ないのだろうか。ウィラードは戦争中は空軍のエースで、金持ちで、ピアノの腕は玄人はだし、スポーツは万能(のようだ)。そんなリアリティーのない男のどこがいいのだ? 腹が立つだけじゃないか。