2015年8月29日土曜日

5 リー・セアー 「Q.E.D.」

Q. E. D. (1922) by Lee Thayer (1874-1973)

作者の生年と没年を確認して驚いた。ずいぶん長生きをした人である。ペンシルベニアに生まれ、ミステリを書く以外にも、イラストレーターとして活躍していたらしい。ミステリは一九一九年に書かれた The Mystery of the Thirteenth Floor から一九六六年の Dusty Death に至るまで六十作以上の長編を書いている。そのほとんどは赤毛の探偵ピーター・クランシーが活躍するものであるということだ。

ピーター・クランシーが何歳なのか、本編を読んだ限りではわからない。しかし本文には young man と書かれているし、山道を精力的に歩いて捜査する容子を見ると三十歳くらいなのだろうか。若いけれども探偵としての活躍はすでに広く世間に知られているようだ。リー・セアーの作品はほかに読んだことがないので、はたしてピーター・クランシーが作者とともに年を取っていったのか、それとも同じ年齢のままなのか、わからない。しかし作者が長生きしただけにちょっと興味がある。

本編ではクランシーは友人のハリソン・カーライルに招かれて、ニュージャージーにある彼の家へ遊びに行くことになる。カーライルはさらに二人の友人を呼んで、近くを流れる川で釣りを愉しもうとしていた。その二人の友人とはロバート・ケントとルイス・フッドだ。そのうちロバート・ケントはカーライルの家に泊まっているのだが、ルイス・フッドは近くにある彼の家にいた。彼らはカーライルの家に集まって、それから一緒に夜釣りを楽しみに出かけるはずだった。

ところが約束の時間になってもルイス・フッドが来ない。しびれを切らしたカーライル、クランシー、ケントは車に乗ってフッドの家まで行くことにした。道は一本道だから行き違いになることはないはずだった。

フッドの別荘に着いたカーライルたちは車を降り、かすかに降り積もった雪を踏みしだいて玄関へ行き、ブザーを鳴らそうとした。その瞬間、月明かりの中に死体を発見したのである。テラスから芝生に降りる階段のところに人が死んで倒れていたのだ。その家の住人ルイス・フッドではなく、別の見知らぬ男だった。

この死体には奇妙な特徴があった。まず喉を切り裂かれ、首が折れて異常な角度に曲がっている。その折れ方はどう見ても人為的だ。つまり彼は殺されたように見える。ところがあたりに積もった雪を見ると、殺された男の足跡が、倒れている場所まで一本、ついているだけなのだ。もしも他殺なら、殺害者の足跡もあるはずなのにそれがない。

最初に警察の捜査の対象となったのは、死体が発見された家の主、ルイス・フッドである。彼は警察官にせっつかれてしぶしぶ以下のような事情を話した。死んだ男は彼の昔の友人で、人生に絶望して彼のところにやってきた。あやうくフッドの目の前でピストル自殺しそうになるのを食い止めて、千ドルという大金を渡し帰してやった。フッドは見送りに外には出ず、釣りに行く準備をするため、すぐに家の奥にひっこんだので、その友達がテラスから降りるところで殺されたことなど、まったく気がつかなかったという。

しかし昔の友人とはいえ、何年も会っていない人間に、千ドルもの大金をいきなりぽんと渡すものだろうか。それにフッドが何かを隠そうしていることが、その態度からありありとわかる。警察がフッドを最重要容疑者として事件の捜査に当たるのは当然だろう。

だが友人の友人であるフッドを犯人とは考えないクランシーは、休暇を返上して彼の汚名を晴らそうとする。

作者は堂々とすべての手掛かりを提示しているので、話を丁寧に追い、かつ想像力を働かせれば、犯人を特定することも、不可能犯罪の物理的トリックに思い至ることも比較的容易ではないだろうか。私はこのレビュー記事を書くためにメモを取りながら読んだけれども、事件の背景も事件の経過もほぼすべて推測できた。そのため犯人がわかっても意外さはなかったが、しかしそれは逆に言うと、作者が非常にフェアな推理ゲームを展開しているということだ。「Q.E.D.」というタイトルはだてじゃない。推理小説として水準以上の出来映えを示していると思う。書かれた年代を考えれば相当に評価すべき作品だろう。

ただ正直に言って、私はこういうパズルストーリーには食傷している。確かに捜査はテンポよく進み、終盤には追跡劇を展開してサスペンスを盛り上げ、犯人の最後に一抹のイロニーを込めてはいるものの、結局のところパズルを構成する事実が羅列されているにすぎないこうした物語の、砂をかむような味気なさには辟易とせざるを得ない。