2016年8月10日水曜日

番外15 小レビュー集

このブログではすでに読んだ本のレビューは書かないことにしているが、ぜひとももう一回紹介したいと思う作品もある。そこですでに書いた短いレビューを番外編として掲載する。今回は二編。

(1)Sleeping Waters (1913) by Ernest G. Henham (1870-1946)

Ernest G. Henham は John Trevena というペンネームでも小説を書いていた人だ。一週間ほどかけてこの人の Sleeping Waters という長い小説を読んだ。これだけのものを書ける人が、どうして今は忘れ去られた作家になってしまったのだろう。

物語はこんなふうにはじまる。ローマン・カトリックの牧師アンガーは、ロンドンのスラム街で慈善活動をするうちに健康をそこね、療養に Dartmoor へおもむく。そこの空気はすばらしく、彼はたちどころに健康を回復し、その若さにふさわしい活力をみなぎらせるようになる。

元気になったアンガーは、彼が療養している村で、あくどい土地買収が進行していることを知る。悪徳弁護士が中心となって、村人たちの無知をいいことに、彼らがもつ土地を入手し、それを転売して大もうけしようとしていたのである。

正義感にあふれるアンガーは、この悪者共に立ち向かう。しかも悪徳弁護士とはひとりの美しい女性を奪い合うことになるのだから、この戦いは熾烈である。(ちなみにローマン・カトリックの牧師は結婚を許されていない。それゆえ、アンガーとこの女性の恋は道ならぬ恋であって、これがまた問題を引き起こすことになる)

悪徳弁護士はイアーゴのように狡猾で、アンガーを窮地に追い詰める。はたして二人の対決はどういう結末をむかえるのか。アンガーと美女の関係はどうなるのか。読者はその暴力的な帰結に驚き、さらにそのあと、どんでん返しをくらって、もう一度驚くことになる。

正直にいうと、ぼくは小説の前半部分を読みながら、ずいぶん妙な小説だなと思った。アンガーは療養していきなり太り、筋肉をつけるし、その水を飲むと病気が直るという、おとぎ話のような泉の話が出て来たりする。(これがタイトルの Sleeping Waters といわれるもの)しかしそうした不可解な印象は、どんでん返しによって一気に解消する。これから読む人の楽しみをそこなわないよう、あいまいな書き方しかしないけれども、このどんでん返しによって、暴力をうちに孕んだそれまでの物語が、平穏な日常の陰画であったことがわかるのだ。われわれの生活の水面下に潜んでいるもの、見えない光景を垣間見せようとした力作であると思う。

(2)Trustee from the Toolroom (1960) by Nevil Shute (1899-1960)

最近、ネヴィル・シュートの作品を読みあさっているが、カナダのプロジェクト・グーテンバーグから Trustee from the Toolroom が出たので読んでみた。シュートのファンのあいだではもっとも人気のある作品らしい。

主人公はキースという modeller である。modeller というのは自分で金属を加工して模型を作る人だ。たとえばキースは小型エンジンを搭載した汽車とか(エンジンも手作りだ)、時間を計測する時計のようなものを造っている。彼はこうしたものを実際に造り、その作り方を雑誌に発表して modeller としては世界的に名を知られている。しかし収入は原稿料しかなく、妻がはたらきに出なければ生活が成り立たないくらい貧乏だった。

キースにはジョーという妹がいて、彼女は裕福な退役軍人と結婚していた。彼らはカナダに移住しようとして、小さい娘をキース夫婦のもとにあずける。まず夫婦がヨットでカナダまで行き、住む場所をととのえてから娘を呼び寄せようというのである。

このときジョーと夫はある違法な行為を行った。当時イギリスには、国内のポンドを海外に持ち出してはならないという法律があったのだが、ジョーたちは莫大な彼らの資産を宝石に変え、それを箱に入れて、ヨットの船底の穴にコンクリートとともに埋めたのである。その作業を彼らはキースに頼んだのだ。

かくして妹夫婦はヨットで大西洋を渡ろうとしたのだが、あにはからんや、嵐に遭い、タヒチの近くで二人とも死んでしまう。

妹の娘の後見人であるキースは、ヨットの船底に埋めた宝石を取り戻し、養女となったジャニスの教育費と確保したいと思うのだが、なにしろ貧乏でタヒチに行く費用など手もとにあるわけがない。

しかしそこで彼を救ったのが、世界中にいるキースのファンたちだった。彼らの好意により、キースは飛行機でハワイに行き、ハワイからヨットでタヒチに向かい、さらにアメリカのファンにあって彼らの仕事を手伝い、とうとうイギリスの自分の家に帰り着く。

この作品には作者シュートのエンジニアとしての知識がぎっしり詰まっている。ヨット旅行の描写も、ほかの作品に比べて迫真的で、さえている。ヨット、飛行機、模型制作と、シュートのエンジニアとしての知識があふれんばかりに活用された作品、という意味で、シュートのファンにとってはたまらない一作なのだろう。寒いイギリスと、暑いハワイやタヒチの対比もおもしろい。しかし、ぼくとしてはいまひとつ物足りない小説だった。それは登場人物の性格が単純で、物語を通して変わることがないからである。これはシュートのほかの作品にも共通する欠点である。

ぼくたちの生活は今や科学技術抜きでは語られない。小説だって科学技術的側面を扱わざるを得ない。そのときシュートは、エンジニアとして、じつに模範的な科学技術の描き方をしてみせた。その描き方にアンソニー・バージェスは感服し、シュートを1939年以降の代表的な英語散文の書き手として認めたのだろう。

しかしシュートは小説家としては未熟だったといわざるをえない。物語が質の悪いメロドラマになってしまうのは、かえすがえすも残念だ。