2016年8月20日土曜日

78 ミルドレッド・ワート・ベンソン 「古いアルバムの謎」

The Clue in the Old Album (1947) by Mildred Wirt Benson (1905-2002)

ご存じナンシー・ドルーが活躍する一作。このシリーズの作者はキャロリン・キーンということになっているが、じつはいろいろな人が作品を書いていて(ベンソンも初期のナンシーのイメージを形づくった重要な書き手の一人だ)、全員をひっくるめてキャロリン・キーンと呼ぶことになっている。一九三〇年代から書き始められ、いまでも続いているようだから、ずいぶん長命なシリーズである。

ナンシーは上流階級の娘で、行動力があり、頭が切れ、人気者で、愛らしい。シリーズの最初の頃はこの「行動的」という点がナンシーの人気の秘密であったようだ。伝統的な女性観、やさしくて、おとなしくて、情緒的といった女性のイメージを打ち破ったところがよかったのである。また金に不自由はせず、おなじように金持ちらしき友人たちと車であちらこちらへ遊びに行くことができ、若いというのに名探偵として社会的に認められ、警察ですら彼女の言うことをきくわけで、年少の読者からすればナンシーには望ましい資質がすべて備わって見えたことだろう。

もっとも後の批評家はナンシーが上流階級の価値観にまみれていることを批判する。本書にはオークションでナンシーが古い時代のおもちゃを競り落とす場面があるのだが、いったい彼女はいくら小遣いをもらっているのだろうと思った。いくらでも自由に使っていいと父親から小切手帳をもらっているのだろうか。彼女に事件の解決を依頼したあるご婦人は、ナンシーに報酬を支払おうとするのだが、しかし彼女は事件を解決することじたいが私の報酬です、などと殊勝なことを言う。これもひっかかる言葉だ。彼女は捜査のために方々へ出かけているし、人形やらアルバムやらも購入している。タクシー代だって相当にかかっているはずなのだ。それでも報酬はいらないなどといえるのは、家にそれだけの金があるということである。そういうところがどうにも鼻についてならない。

本書はかなり荒唐無稽な話になっていて、事件が終わってからもう一度その経過を振り返ってみるといろいろあらが目に付くのだが、まあ、子供向けの話だからそこは見なかったことにしよう。しかしアメリカ征服を目論むジプシー集団とか、生命を持った不思議な物質などという奇想天外な設定には、今は子供だってだまされないだろう。

しかしいちばんひどいのは都合のいい偶然があまりにも多すぎることだ。ナンシーが手掛かりがほしいと思っていると、たまたま入ったお店でその手掛かりが見つかり、味方がもう一人ほしいと思っていると、ひょっこり道路の向こうから昔の知り合いが歩いてくるといった具合で、このご都合主義の筋立てにはあきれるしかない。

事件が次から次へと起こるので飽きることはないのだけれど、登場人物の心理にわけいったり、それぞれを個性的に描き分けることはなく、ただあわただしく筋の展開を追っているばかりのような気もした。ナンシーと、本編の副主人公ともいうべき少女ローズですらその描かれ方は一面的、あるいは戯画的で、ほかの人物にいたってはまるで印象が残らない。

あらばかり書き立てたが、実際本書はほかの作品と較べてそれほどよい出来とはいえないと思う。

簡単にあらすじをまとめておこう。裕福なストラザーズ家には娘がいた。彼女は家族の反対を押し切ってジプシーの音楽家と結婚した。ところが夫が家を出て行ってしまい、娘は子供(つまり娘の親にとっては孫にあたる)ローズを連れて実家に戻ってくる。娘のほうはそれからほどなくして死んでしまうのだが、以後ストラザース家とローズの身に不思議な事件が降りかかりはじめる。たとえばミセス・ストラザーズは音楽会の最中に財布を盗まれたり、彼女が収集している古い人形を盗まれたりする。そのうえジプシーと思われる怪しげな男女が彼女の家の付近をうろつくようになるのだ。ミセス・ストラザーズは偶然知り合ったナンシー・ドルーに事件の解決を依頼する。事件を解く鍵は彼女の娘が死に際に残した不思議な言葉と、彼女のアルバム帳にあるようだ。ナンシーは捜査をジプシーたちに邪魔され、脅迫されるだけでなく実際に危険な目にも遭うのだが、そのたびに彼女は持ち前の行動力で窮地を切り抜けていく。まあ、ざっとこんな話である。

ジプシーを悪者扱いするなんていかにも時代を感じさせる。現在書かれているナンシー・ドルーものはどんな内容になっているのだろう。格差問題なども扱っているのかしら。