2016年8月27日土曜日

80 キャサリン・ニュウリン・バート 「赤い髪の貴婦人」 

The Red Lady (1920) by Katharine Newlin Burt (1882--1977)

十八世紀の末から十九世紀前半にかけてイギリスではゴシック小説が大流行した。大きなお屋敷とか僧院を舞台に、超自然的な出来事が起きたり、背徳的な、あるいは血なまぐさい事件が展開するという物語である。たいてい美しいヒロインがいて、一人で怯えながら迷路のような建物の中をさまよったり、あやうい目に遭ったりする。

ゴシック小説の流行は十九世紀の中頃からセンセーション・ノベルの流行に取って代わられたが、ゴシック小説の型はそれ以後もいろいろな作家によって利用されている。イギリスのヴァランコートというゴシック小説やホラー、ミステリ、ゲイ小説といった、ややマージナルな作品を掘り起こしている出版社が最近、アーネスト・G・ヘナムの「バッカスの宴」を再刊したが、これもゴシック小説の名品である。

ミステリの中には大きな屋敷で連続殺人事件が起きたりするものがあるが、あれなどもゴシック小説の影響を受けたものと見ることができる。

「赤毛の女」もゴシック小説の骨法で書かれた作品だ。ノース・カロライナのあるお屋敷で奇妙な事件が起きる。この家にはミセス・ブレインが幼い息子とともに暮らしている。ミセス・ブレインの夫は死んでいるのだが、しかし亡くなる直前に彼は、この邸のどこかに宝物を隠したことをほのめかした。夫人は手を尽くして屋敷の中を調べたが、残念ながら宝物は見つからなかった。

そのうちに召使いのあいだに幽霊の噂がひろまった。夜中に壁の向こうから変な声が聞こえた、とか、真っ暗な廊下で幽霊とすれ違った、などと言い出したのだ。迷信深い召使いたちは怖れをなして仕事捨て、屋敷を出て行く。

この謎に立ち向かうのが、新しく家政婦として雇われたミス・ゲイルである。彼女は寄宿学校を出たばかりで仕事を探していたのだが、見知らぬ女にミセス・ブレインのことを教えられ、彼女の屋敷で働くことになったのだ。

彼女は若くて行動力があり頭も切れる。しかしその彼女も、夜な夜な現れる幽霊のことを知って愕然とした。赤毛の髪の毛といい、背格好といい、顔つきといい、彼女と瓜二つであったのだ。

この筋の運び方はなかなかうまい。今回このブログのために二十世紀前半のミステリをまとめ読みして気がついたのだが、物語の導入までは非常にうまく書いている作家が多い。本書は一九二〇年に出ているが、読者を物語に引き込む技術は相当に確立されていたのだろう。しかしどんなに出だしはうまく書いていても中盤、終盤はただの(古い)メロドラマに堕してしまうケースも多い。新しい形式を生み出すということはなかなか大変なことなのだ。

本書も最後のほうになるとメロドラマの色彩が強くなる。しかしそれでもなかなかに面白い作品であるとはいえるだろう。上の粗筋を読んだだけで大方の人は予想がついただろうけど、じつはミセス・ブレインのお屋敷には、彼女の夫が隠した宝物を狙って賊が侵入していたのである。このお屋敷の分厚い壁の中は空洞になっていて、そこに賊が忍び込み、邪魔な召使いを追い出していたのである。そしてこの賊がなぜ新しい家政婦とそっくりだったかというと……ここがいかにもメロドラマなのだが、そこは言わないでおくことにしよう。

本書を読んでいておやっと思った部分が一カ所ある。ミセス・ブレインがミス・ゲイルの二重性を指摘する部分だ。彼女は新しい家政婦に向かってこんなことを言う。「あなたは天使のように愛らしいわ。でもあなたの美しさは悪女の特徴を持っている。たとえば赤毛は悪女にこそふさわしい髪の色よ。あなたの瞳はグリーン・ブルーだけど、それはベッキー・シャープの瞳の色。薄くて赤い唇は酷薄そうにも見える」まるで平行線が交わるように、天使と悪女がミス・ゲイルの中で一致するというのだが、こんなふうに女性を反対物の一致として描き出すのはセンセーション・ノベルの代表作「オードリー夫人の秘密」の影響だろう。私は自分の訳書の解説で、このような反対物の一致をラカン派の精神分析の考え方と結びつけて解釈した。「赤毛の女」にも精神分析学的に興味深いところがいくつかあってしばらく考え込んだのだが、どうも考えがまとまらない。ただもう一二冊、この作者の作品を読んでもいいなと思わせるくらいには技量もあり、感受性の鋭さを見せている。