2016年7月1日金曜日

67 ゴア・ヴィダル 「死は熱いのがお好き」

Death Likes It Hot (1954) by Gore Vidal (1925-2012)
 
ゴア・ヴィダルがエドガー・ボックスのペンネームで書いたミステリの一冊。以前 Death in the Fifth Position (1952) というバレエ団を扱ったミステリを読み、面白かったので本作に手を出してみた。

ゴア・ヴィダルはずいぶんたくさんの小説、ノンフィクションを書いているが、私が手に取ったのは、どれもいい作品だった。都会風の、いささか色彩がけばけばしい風俗を描くのもうまいが、Julian (1964) のように古典派的な文章も書ける。たいした才能の持ち主だと思う。

ミステリもなかなか読ませる。トリックがどうの、推理がどうのといった点でめざましい特色があるわけではないが、ニューヨークの上流階級や華やかな芸能世界の罪深い生態を皮肉とともに軽快なタッチで描いており、以前このブログで紹介したフットナーの系列をくんでいるように思える。私はこの手の作品が妙に好きなので、今回も非常に楽しめた。

私が読んだボックス名義のミステリは、いずれも広告代理業者というのだろうか、イベントの広報活動を引き受けるピーター・サージェントという男が主人公である。彼はある夏、ロングアイランドに住むミセス・ヴィアリングのお屋敷に招かれる。ミセス・ヴィアリングは大掛かりなパーティーを開くことを計画しており、その宣伝をサージェントに依頼したいと考えているのだ。

ミセス・ヴィアリングのお屋敷に招かれていたのはサージェントだけではない。高名な画家の夫妻や、女流小説家や、ミセス・ヴィアリングの親族が一緒に呼ばれていた。彼らのあいだには過去に複雑な関係があったらしく、サージェントは反目や敵意が火花を散らしているのを目撃することになる。

事件はその翌日に起きた。客たちは全員そろって近くの海に泳ぎに出かけるのだが、画家の妻がそこで溺れ死んでしまうのである。全員が見ている前で彼女は暗流にのまれて急に沈んでしまったのだ。大慌てで彼女を助け浜辺に連れてきたのだが、そのときには彼女は死んでいた。

サージェントはそれを悲劇的ではあるが単なる事故だと考えていた。ところが彼女の夫に悪意を抱く客の一人が、夫が彼女に睡眠薬を飲ませ、事故死にみせかけて彼女を殺したのだと、警察に訴え出たのである。

これがこの屋敷を舞台にした連続殺人事件の幕開けだった。

お屋敷の中での連続殺人という、古典的なセッティングで、手がかりもすべて読者に提示されている本格物である。珍しいといえばサージェントと(いかにも軽薄そうな)ガールフレンドとのセックスシーンが二度も織り込まれていることだろうか。セックスシーンが含まれている本格派の推理小説なんて、あまり聞いたことがない。といっても露骨な描写はないので、変なことを期待してはいけない。

読んでいて楽しいのは上流階級に対する風刺の効いたユーモラスな描写があちこちに見つかることだろう。たとえばサージェントはミセス・ヴィアリングのお屋敷で出会った女流小説家が嫌いでたまらない。なにしろ彼女は人の話は聞かず、自分のことばかりをおしゃべりしようとするのだから。ところが
 僕(=サージェント)は幻滅した。彼女と部屋が隣同士だったのだ。「あら、偶然ね」と彼女は言った。
 僕は謎のようなほほえみを浮かべて部屋に飛び込み、隣の部屋とつながるドアに鍵をかけた。さらに安全のために重いたんすをドアの前に移動させた。このバリケードを破ることができるのは怒り狂ったカバだけであろう。僕の知るかぎり、女流小説家はまだ怒り狂ってはいなかった。
「怒り狂って」はいないが、彼女は「カバ」であると言っているのである。また
みんなと同じように僕も精神分析の専門家である。トラウマと陳列棚の区別なら二十歩離れた距離からでもつくし、フロイトのことならその著作を一行も読んじゃいないが、なんでも知っているのだ。
というように、サージェントは自分のことに仮託して、当時の人々一般の知ったかぶりをからかったりする。こういうアイロニーに満ちた観察が本作の読みどころといっていいだろう。先ほど言ったように、フットナーそっくりの書きっぷりで、微量の悪意とユーモアを含んだ視線がたまらない。こういう文章がお好きなら私が訳した「罪深きブルジョア」も読んでみていただきたい。