2016年6月2日木曜日

61 フランシス・ウースター・ダウティー 「二人のブレイディと阿片窟」

The Bradys and the Opium Dens (1900) by Francis Worcester Doughty (1850-1917)

イギリスでは一八世紀末から一九世紀の初頭にかけて、教会の日曜学校などで一般の子供たちにも読み書きを教えるようになった。それが功を奏して一九世紀の半ば頃には、膨大な数の読者層が誕生し、それがジャーナリズムや文学などの隆盛のもとになったのである。あまり教育のない労働者たちも仕事の合間に新聞の犯罪記事やら、ペニー・ドレッドフルなどと呼ばれる扇情的な軽い読み物を読むことが出来るようになった。私の記憶に間違いがなければ、たしかロバート・トレッセルの「ぼろズボンをはいた慈善家たち」という小説の中で、大工だったかペンキ塗りの少年が、たどたどしく拾い読みしながらペニー・ドレッドフルを読む場面がある。また、私が訳したマリー・ベロック・ローンズの「下宿人」にも、下宿を経営するバンティング氏が連続殺人事件の記事を熱心に読みふける場面が出てくる。労働階級の人々は、そういう読書を通して語彙や知識を増やしていったのである。

ペニー・ドレッドフルはアメリカではダイム・ノベルと言われる。ダイムは十セントのことだ。一ドルの十分の一で買える本、三文小説という意味になる。今回私が読んだのは一九〇〇年二月にニューヨークで発行された、たった五セントの小冊子、「シークレット・サービス」シリーズの一冊である。ページ数は三十数頁で、毎週発行されていたようだ。本文のあとにはバックナンバーのタイトルがずらっと並んでいて、その数は五十八冊。一年以上つづいていたのだから、それなりに売り上げがあったのではないか。



本書はシークレット・サービスに携わる二人の探偵の物語である。二人の探偵のうち歳上のほうがキング・ブレイディという。歳下のほうはハリー・ブレイディである。おなじブレイディだが、血のつながりはない。偶然におなじ姓の探偵がコンビを組んでいるのである。ちなみに表紙の絵は、二人がチャイナタウンを訪れたときの様子を描いている。両者とも変装しているのだが、黒いコート着ている前面の男性がキング・ブレイディで、彼が腕を取っている女性は、なんと、女装しているハリー・ブレイディである。

読者層の知的レベルがそれほど高くないので、物語はじつに簡単な構図しか持っていない。ジョナサン・スモールという金満家とその娘が悪党どもに誘拐され、チャイナタウンに拉致される。悪党どもは、もちろん、身代金を要求する。さらに悪党の一人はスモールの娘に惹かれていて、彼女に薬を飲ませ、意識が朦朧としている隙に結婚式を挙げてしまおうと考えている。オールド・アンド・ヤング・ブレイディ、すなわち二人のブレイディは、この父娘を悪の巣窟チャイナタウンから救い出すために、大冒険をする。

例によって人種差別的な内容にはなっている。登場する中国人には個性がなく、誰も彼もが悪者である。中国本土にいたときはどんな生活をしていたのか、なぜアメリカに移民することになったのか、アメリカでどんな苦労をしているのか、そんなことなど関係ないのである。黒人を差別する人々が、黒人はみなおなじだ、などと言うが、同様にここでは、中国人はみなおなじ、なのである。どうもダイム・ノベルとかペニー・ドレッドフルは、文字教育を広めるという大事な役目を果たしつつ、同時に偏見をばらまくという弊害も持っていたようだ。

本書の文章や書き方も読者層に合わせたものになっている。言葉遣いはできるだけ平易にしてあり、文章も短い。段落も長いものはなく、会話が多い。
 キング・ブレイディはホテルを出た。
 彼は通りで馬車を拾った。
 「十四番通りのX番地へ行ってくれ」馭者は馬に鞭を当てた。
 馬車はブロードウエーを走り、十四番通りに折れ曲がった。
 大きな乾物屋の店先で、キング・ブレイディは馬車を降りた。
 警戒するようにあたりを見廻したが、そのときブロンドの髭をはやした体格のいい男が、こっそりと合図を送って寄こした。
 探偵は角を曲がって六番街へ行った。
こういう具合にアクションが次々と継起していく。悪党がたくさん登場する割には、スラングなどもあまり出てこないようだし、英語を勉強したい人が読むには、うってつけの文章かも知れない。おかしな偏見は学び取らなくてもいいけれど。