2016年6月7日火曜日

62 バーフォード・デラノイ 「マーゲイトの怪事件」

The Margate Mystery (1901) by Burford Delannoy (?-?)

作者については十九世紀の終わりから二十世紀初頭に活躍していたらしいということしかわからない。調べるとバーフォード・デラノイの名前で書かれた作品がいくつか見つかるが、伝記的なことなどはいっさい記録がないようだ。
 
本書は正直に言って、あまりよい作品とは言えないだろう。なんといっても構成が悪い。二つの殺人事件が起きるのだけれど、そのあいだには何の関連もないのである。二つの別個の殺人事件を読まされて、私はいったいこの作者はなにが書きたかったのだろうと、いぶかった。

内容をまとめておく。若い実業家の妻が殺される。夫がフランスに出張で出かけているあいだに、浮気相手の男にホテルで殺されたらしい。浮気相手の男は、圧倒的に不利な状況証拠を突きつけられ、裁判では死刑を言い渡される。しかし男の態度を見て、犯人は別にいると感じた人間が二人いた。それが本書の主人公である作家のランウオードと、彼の友人で法律家のマシューズである。
 浮気相手の男が犯人でないなら、真犯人は誰なのか。二人は
(1)ポーの物語にあるようにオラウータンがやった(現場近くには動物園がある) 
(2)ホテルのメイドが殺した 
(3)夫がフランスから戻ってきて妻を殺した
の三つのシナリオを考える。(1)と(2)はマシューズが調べて、その可能性がないことを確認した。ランウオードはフランスに出かけて(3)の可能性を調査しようとした。

ところがフランスに着くや、彼は泥棒に捕らえられ、彼の家に閉じ込められてしまうのである。しかしなんという偶然であろうか、この泥棒の情婦が死刑になるはずの男の妹で、ランウオードが兄を助けるためにフランスに来たことを知ると、泥棒がいないすきに彼を解放してやるのである。こうしてランウオードは危地を脱出し、泥棒は捕まり牢獄に入る。しかし、残念なことに、その間に浮気相手の男の死刑が実施されてしまったのだった。ランウオードは元泥棒の情婦を連れて、失意のうちにイギリスに帰る。

さて、元情婦はイギリスに帰ってから真面目に働きはじめ、ランウオードと恋に落ち、結局結婚してしまう。ランウオードが病気のために失明するという、悲惨な出来事もあるのだが、それでも二人は幸せに生活し、子供も生まれる予定だった。だが、そこに出所してきた泥棒があらわれ、裏切った元情婦を殺害するのである。これが二つ目の殺人だ。

いずれの事件もあわただしく最後のほうで解決されるのだが、事件のあいだにはまるで連関がないので、物語の焦点がぼやけることおびただしい。

しかし物語の前半は面白く読めた。本書は事件当事者がランウオードの頼みに応じて、それぞれの立場から自由に書いた事件の手記を寄せ集めて構成されているのだが、その中でも描く対象からやや距離をおいた書き方、感傷や紋切り型を拒絶する書き方が楽しかったのである。たとえば男が女に求婚する場面はこんな感じである。
 「結婚してほしいんだ」
 「本気なの?」
 「生まれてからこんなに本気でしゃべったことはないよ」
 「でも……でも……」と愛らしいためらいの仕草。先週、地元の劇場で見たドラマの真似だ。
愛の告白というクサイ場面を、一歩退いた皮肉な眼で描いている。現実的な女である酒場の女給が、センチメンタリズムを排して、端的に事実を書き記す部分もなかなかいい。彼女はランウオードの回りくどい、上流階級に特有のおべっかに腹を立ててこんなことを言う。
ランウオード「マダム、あなたのお言葉には繊細さが感じられます。微妙な機微をつかんだ言い方をなさる。きっと文筆業において輝かしい業績を残す運命にあるのでしょう……」
女給「黙んな。お追従は大嫌いだよ」
彼女の手記は教養がないはずの女給らしからぬ、簡潔で用を得た見事な文章になっている。さらに事件の捜査に当たっている警官の手記から、もう一つだけ短い引用をする。
私は変装しようとはしなかった。そういうやり方はお話しの中では結構だが、現実には……まったく馬鹿臭い!
探偵が変装して大活躍する話は、シャーロック・ホームズ以来、うんざりするほど書かれてきたが、作者はそういう物語の非現実性を健全な視点から批判している。こういう部分に私は感性の変化、十九世紀から二十世紀への変化を感じる。