2016年5月28日土曜日

番外12 小レビュー集

(1)A Dream of Treason (1954) by Maurice Edelman (1911-1975)

大家をなすほど筆力があるわけではないが、あるいは平明な、あるいは流麗な文章を安定的に書くことのできる職人的なB級作家に、私は奇妙に惹かれる。何かきっかけがあれば、大輪の花を咲かせたかも知れないのに、結局才能を埋もれさせてしまったという運命への、ある種ロマンチックな関心もあるし、今読み返してみると意外と重要な作家・作品だなと、再発見する喜びにも出会えることがあるからだ。私が翻訳をしているのは、無名の作品の中にもきらりと光る小粒なダイヤが隠れていることを示したいからである。

最近 A Dream of Treason という小説を読んで、作者の Maurice Edelman もB級作家の好個の例となる人だと思った。上に書いたように、B級作家という呼称はヘボ作家を意味しない。それなりに見事な文章を書き、小説の技術を身につけている作家である。

作者はイギリスの政治家で二十冊ほども本を出しているらしい。ただし、ディズレイリのような偉大な文人にもならなければ、ジェフリー・アーチャーのような人気作家にもならなかった。ミドリスト(midlist)を形作る群小作家の一人だった。しかし今読んでも結構楽しめる内容になっているし、散文には一種の格調の高さがある。

主人公はランバートというイギリスの外務省の役人である。彼は外務大臣と秘書が極秘に立てた計画に従ってフランスの新聞にある国家機密文書をリークする。もちろんこれは国家に対する犯罪である。
 
外務大臣とその秘書は、この直後に飛行機事故に遭い、前者は死亡し、後者は意識不明の危険な状態に陥る。つまりランバートが上司の支持で機密文書をリークしたと証言してくれる人がいなくなったのだ。

リークした人物を探す警察の手がランバートの周辺に及び、彼はフランスに逃げ出すことを考えはじめる…。

枝葉を刈り取ってまとめてしまうと、サスペンスじみた粗筋になるが、自分の行為を根拠づけることができないという不安を背景に、子供を失って以来崩壊した夫婦仲、あまりにも年若い娘との恋、友人の裏切りといった事態が、抑制の利いた、メランコリックな筆致で描かれていく。

メロドラマくささは多少あるものの、会話の用い方や、場面転換の技術、また描写の簡潔さは堂に入ったものだし、作品の最初と最後にあわわれる霧は、使い古された道具立てながらも、世界との関連を失った主人公の境遇を示す適切な比喩になっている。

私は興味を持ってこの作品を一気に読んだ。入手が可能なら他の作品も幾つか読んでみたい。こういう作家はときとして愕くほどの秀作を残していることがあるものだ。

(2)The Crime and the Criminal (1897) by Richard Marsh (1857-1815)

十九世紀世紀末のイギリスで人気のあった大衆作家といえば、リチャード・マーシュの名前が必ずあがる。日本では The Beetle (1897) くらいしか紹介がされていないようだけれど、同じような怪奇趣味を扱った The Joss (1901) とか、機械人形の恐怖を描いた The Goddess (1900) とか、一種のスパイ小説である The Great Temptation (1916) など、他にも興味深い作品をたくさん書いている。安楽椅子かソファに深々と腰かけて、ウイスキーを片手に週末の夜を愉しむのに最高の物語だ。つい最近 The Crime and the Criminal という長編小説がプロジェクト・グーテンバーグから出たので読んでみた。



冒頭から奇怪な事件が連続し、読者の興味をはなさないマーシュらしい作品だった。ブライトンからロンドンへ行く汽車の中で、主人公テナント氏は、昔知合いだったとある女とコンパートメントが一緒になる。二人の間には曰く因縁があって、とうとう彼らは揉み合いになり、女が開いた出口から汽車の外に落下してしまう。ところがテナント氏はそれを見てもただ茫然としているだけで警報も鳴らさない。さらに彼は事故のことなど素知らぬふりをしてロンドンで下車しようとするのだ。しかしとなりのコンパートメントにいた男が事故に気がつき、テナント氏をおどし、金を巻き上げようとする。さらに数日後、新聞が事故を報じ、ロンドンじゅうの話題を呼ぶことになる。はたしてテナント氏の運命や如何に……という話だ。

ウイルキー・コリンズの「月長石」もそうだが、この当時はひとつの事件を多様な視点から描くという物語手法が開発され、この小説のなかでもそれがうまく利用されている。物語の第一部はテナント氏の視点から語られるのだが、それが第二部で別の視点に変わり、さらに三人目の視点が導入され……という具合だ。そして視点が変わるたびに物語の様相がちょっとずつ変化するのである。物語の様相の変化という点が、視点の移り変わる小説の醍醐味の一つなのだが、このあたり、マーシュが単なるストーリーテラーではなく、それなりに小説技術にも長けていることが示されているだろう。

もちろん欠点もある。偶然が重なりすぎるのは読んでいて鼻白むし、物語の結末は「これぞ予定調和」という感じの終り方だ。

彼らが通り抜けたあと、まもなく牢獄の門は閉ざされた。彼らはあたかも死の谷を抜け出たかのようにこの世界とふたたび向かい合った。夫と妻として、ともに手を取り合いながら。

小説の最後の一節だけれど、読んでいて気恥ずかしくなるくらい紋切り型の文章である。しかしこの時期は「よく出来た小説」という観念が横行していて、こんな感じの終り方が普通だったのだ。そしてこういう書き方に反発した作家たちがモダニズムなどという運動を始めるのである。