2016年6月13日月曜日

64 オーガスタ・ヒューエル・シーマン 「七つの鍵穴をめぐる冒険」

The Adventure of Seven Keyholes (1926) by Augusta Huiell Seaman (1879-1950)

二十世紀に入ると子供向けのミステリもずいぶん書かれるようになった。こちらの方面にも目を配っておかなければ、このブログの趣旨から見て片手落ちということになりかねないので、児童書も何冊かレビューしておこうと思う。

子供向けの本には凄惨な殺人の場面は出てこない。基本的に子供たちの「知恵と勇気と冒険」の物語ということになる。もちろん第二次世界大戦後は、児童文学の世界にもすさんだ現実が顔を出すようになる。バランタインの「珊瑚礁の島」がゴールディングによって「蝿の王」(1954)に書き換えられたことがその辺の事情をもっともよくあらわしているだろう。たとえばロアン・オグレーディ (Rohan O'Grady) の「叔父さんを殺せ(Let's Kill Uncle)」(1963)なども従来の児童書には見られない残酷さが主題になっている。「蝿の王」も「叔父さんを殺せ」も明らかにその暴力性には戦争の影が見られる。

閑話休題。

本書の作者シーマンはニューヨーク生まれのアメリカ人で、女の子を主人公にした児童書を書いた人だ。ミステリっぽい作品が多数ある。「七つの鍵穴をめぐる冒険」には殺人者はおろか、泥棒すら出てこないが(カラスをのぞけば)、しかし立派に謎が構成され、それを解いていく過程で、よく物事を考えることの大切さが示されている。

出だしの一節を訳出してみる。
 フェアファックスおじいさんが奇妙な銅の小さな鍵をバーバラに残さなかったら、この話は存在しなかっただろう。おじいさんは生きていたときは奇人だったがが、彼が残した遺書も、彼の人生にまけないくらいみょうちくりんなものだった。その中でもいちばん変だったのはこんな一項目だ。「孫娘のバーバラ・フェアファックスには、小さな銅の鍵を与える。これはパイン・ポイントにある古いフェアファックス屋敷にしかけられた鍵をあけるためのものだ。鍵穴はぜんぶで七つ。いちばん大切なのは七つ目の鍵穴だ。彼女はそれを独力で探し出さなければならない」
フェアファックス屋敷と訳しておいたけれども、じつは森の中に建っていて、今は誰も住んでいない、床も抜けそうなぼろぼろの家である。バーバラはそこから少し離れたところに住んでいて、下宿を経営している叔母の手伝いをしている。彼女は弁護士から鍵を受け取ると、おじいさんがしかけた謎を解きあかそうと、いさんでフェアファックス屋敷におもむく。

しかし鍵穴はどこにあるのか。バーバラはやみくもに部屋の中を調べて回るのではなく、まずおじいさんとこの家の中で過ごしたときのことを考え、どこにおじいさんが鍵穴をつくりそうか、推理をする。そして部屋の中や家具を調べるにしても、システマチックに調べていこうと考える。手がかりがないように思えたり、行き詰まったときは、たとえば、おじいさんの言葉を思い出す。
あわてちゃいけないよ、バーバラ。困ったと思うようなときも、じつは案外それほど困っちゃいないんだよ。いちばんいいやり方がわからなくても、次によさそうなことをして待ちなさい。きっとおまえさんを助けてくれるような何かが起きるから。
こうやって彼女は一つ一つ鍵穴を見つけ、おじいさんからの大切な贈り物を手にするのだ。子供たちの冒険を描きなら、教訓話くさくなりすぎない程度に、生きていくための知恵を織り交ぜるというのが、だいたいこの頃の児童書の定跡的な書き方である。

バーバラが鍵を開けて具体的に何を発見したのかは、これから読む人のために言わないでおこう。おじいさんの孫娘に対する愛情がよく伝わってくる物語になっている。