2016年6月10日金曜日

63 イレイン・ハミルトン 「ウエストミンスターの怪事件」

The Westminster Mystery (1931) by Elaine Hamilton (1882-1967)

まったく聞いたことのない作者だが、機会があれば別の作品も読んでみたいと思わせられた。相当な力量の持ち主だと思う。いかにも単純そうな事件が、いつの間にか複雑な広がりを見せる過程が見事だ。情報を探り出そうとしてやっきになる、多少短気な下層階級出身のレノルズ警部と、身内や知り合いをかばって真実をごまかそうとする、わがままな著名人・上流階級との対立もうまく描かれていて、飽きることなく最後まで楽しめた。

事件はとある晩に起きた。ロンドンの有名女優が、大富豪の男に付き添われて帰宅する。いつもならメイドがドアを開けてくれるはずなのだが、彼女はおらず、ドアは開いたままだった。不思議に思って女優が中に入ると、おかしな薬のにおいがする。メイドが薬品を使って洗濯でもしているのだろうかと思ったが、そうでもないらしい。女優は男に、家の中をぐるりと見てきてくれないか、と頼む。男が出て行くと、女は彼が出て行ったドアとは反対のほうのドアを開け、隣室に入る。そこには別の男の死体があった。彼女は死体を確認し、ドアのところまで戻り、そこで悲鳴をあげる。大富豪の男がそれを聞いて急いで戻り、死体を調べる。彼は見知らぬ男がクロロフォルムを大量にかがされて死んでいることを知る。

女優の奇妙な行動を見て、読者は疑惑を持つだろう。この女は殺人のことを知っていたみたいだ。彼女が犯人なのだろうか。それとも彼女は犯人や被害者のことをなにか知っているのだろうか。彼女に付き添って家まで来た大富豪の男もおなじことを考え、彼女にそれとなく問いただすが、彼女はそ知らぬふりをする。

これが事件の幕開けである。連絡を受け現場に急行したレノルズ警部は、すぐに女優が嘘をついたり、何事かを隠していることに気がつく。こわもての警部はその鋭敏な観察力と推理力で彼女を問い詰めるが、相手も当代で最高の人気女優、口の達者さでは負けていない、なんだかんだといって追及をかわす。さらに大富豪の男に、夜も遅いし、女優は死体を見てショックを受けている、取調べは明日にしてくれませんか、と諭され、警部はその場をいったん去ることになる。

一九三〇年代頃までのミステリを読むと、警察が上流階級を相手に事情聴取するときは、やけに態度が丁寧である。庶民の場合はその場でしょっぴいて警察署に連れて行き、尋問をしたりするが、貴族や大金持ちの場合は、相手の都合を聞いて、それに合わせるなどの配慮を見せる。それにつけこんで、というわけでもないのだろうが、上流階級は警察の調査をのらりくらりとかわし、なかなか本当のことを言わない、という物語がよくある。このブログでレビューしたR.A.J.ウオーリングの「奇怪な目をした死体」もそんな小説である。ただこの作品では探偵役自身が上流階級に属していたため、取調べの対象である人々に同情的な態度を取ったのだが、本書のレノルズ警部は労働者階級の出身である。まるで協力的ではない捜査対象に、彼は猛烈な苛立ちを感じる。大富豪と人気女優だけではない。事件は意外な広がりを見せて、本物の貴族まで事件に関わっていることがわかるのだが、その関係者全員が真実を警察に打ち明けようとしないのである。大貴族の老婦人が威厳のある態度で「そのことはお話できません」といったら、警察も無理やりそれ以上のことを聞くことはできないのだ。

私はレノルズ警部が歯軋りする様子を見て、同情にたえなかった。この特権階級に属する連中は、自分たちの秘密に関わることはいっさい教えない、しかし自分たちの安全を守れ、と警察に言っているようなものだからである。なんという勝手な人間どもだろうと、私は物語にのめりこみながら思った。しかし同時に、それほどまでして隠さなければならない事情、しかもこれだけ大勢の人間にかかわる事情とはいったいなんだろうという興味も抱いた。

物語の最終盤に入ると、この不思議な事情が明らかにされる。事件関係者は複雑に絡み合っていて、真実を話そうとしなかったのもあながち非難できない事情がわかってくる。しかし読んでいて、この部分の書き方には、今ひとつ工夫が必要だなと感じた。事件関係者が隠そうとした事実というのが、それはそれで一つの物語ができるくらい豊かなふくらみを持ったものなのだが、最後の数十ページに押し込められるように書かれているため、なにやら小説の梗概を聞かされているような、味気ない感じになってしまっているのである。この作者は複雑な物語を構築し、それをわかりやすく語っていく抜群の技術を持っているが、最後の部分はさらに工夫を凝らす必要があったと思われる。

もう一つの欠点は、殺人事件の犯人とおぼしき「親指のない男」に関する情報が作品中でほとんど提供されていないことだ。もちろんいちばん最後になって彼の正体はわかるのだけれども、それを推測する材料がまったく与えられていなかったために、読者は「へえ、そうなの」と気の抜けた反応しかできないのである。犯人に意外性があるのだから、ここにも一工夫がほしかった。

しかし総じてよくできた作品で、本作以降、どんなものを書いているのか、興味が持たれる。