2016年4月9日土曜日

51 ヘレン・マッキネス 「ブルターニュ潜入任務」

Assignment in Brittany (1942) by Helen MacInnes (1907-1985)

レビューも五十一作目になった。しかし九十九里を以て半ばとする計算法によれば、まだ日暮れて道遠しの状態である。気を引き締めて残りを進みたい。

私は十代に入ってから大人向けの普通の英語の本を読み出したが、読み出して最初の頃に出逢った一冊がヘレン・マッキネスの The Snare of the Hunter (1974) だった。紀伊國屋のバーゲンセールの籠の中に、よれよれの表紙と共につっこまれていた。内容は憶えていないけれど、チェコに住んでいる娘がオーストリアにいる父親を捜しに行くとかいう話である。冷戦当時のヨーロッパの状況など、当時の私はろくな知識ももっていなかったが、政治的なサスペンス小説にはじめて接して、最後まで面白く読んでしまった。

そしてそこに不思議な世間智があることに感銘を覚えた。文学作品でも登場人物の台詞や独白という形で世間智が表明されることがあるが(「智に働けば角が立つ」とか「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」みたいに)、マッキネスに感じたのはそれよりももっと生臭い世間智、文学的に昇華していない泥臭い世間智である。私は少年ながら、というより、少年であったからこそ、これから出ていく世間の俗っぽい智慧に敏感に反応したのだろうと思う。

「ブルターニュ潜入任務」にもそんな世間智が語られている。四つほど羅列してみる。

(1)
心配は事前にしておけ。そうすれば準備をととのえることになる。心配は事後にしろ。そうすればしっかり地面に足をつけた状態でいられる。しかし事の最中に心配することはやめろ。それは命取りになる。
(2)
頭のいい連中はいつも自分たちが宗派替えしたことをあけっぴろげに堂々と認める。ところが他人が宗派替えしたと言うと、それに対しては不審の目を向けるのだ。
(3)
典型的なナチスならハーンの感傷を嘲嗤うだろう。典型的なフランス人なら彼は冷たい冷酷な男だと思うだろう。それが問題なのだと彼は考えた。彼はそのどちらでもない。彼はただの折衷的なイギリス人なのである。
(4)
それは人生に似ている……心配し、計画を立て、汗を流し、苦しむ。するとまったく予定してなかったことが起きて、慎重に立てたはずの計画がおがくずのように意味のないものになるのだ。

今読むとどうということもないものだが、少年のころは、こうした言葉にまだ見ぬ世界の一端が示されているような気がしたものである。

「ブルターニュ潜入任務」は、第二次世界大戦中、フランスがドイツに占領されていたころ、イギリスの諜報部員がブルターニュの僻村に潜入し、ドイツ軍の活動について情報を収集しようとする物語である。この潜入作戦は、イギリスに流れ着いたあるフランス人が、顔も形もイギリスの諜報部員ハーンに瓜二つだったことをきっかけに練られた。フランス人がイギリスの病院で療養しているあいだ、ハーンがそのフランス人の振りをして彼の故郷である、小さな村へ行ってそこに住み込み、周囲で展開されているドイツ軍の動きを逐一イギリスに報告しようというのである。

瓜二つの人間がその立場を入れ替わるという筋は「王子と乞食」とか、私が訳したオッペンハイムの「入れかわった男」でも使われている、古い、まことに古い物語の仕掛けなのだが、しかしその「くささ」が少しもないのが本作のよいところである。それはパターンをほんの少し外している、というところに秘訣があるのだろう。彼の正体は村の人々にはばれないのだが、母親と許嫁という、もっとも近しい人には最終的に感づかれてしまうのである。

ともかくハーンは落下傘を使ってブルターニュに行き、諜報活動を開始する。その直後のことだ。なんとハーンはその僻村に乗り込んできたドイツ軍からコンタクトを取られるのである。一瞬なにが起きているのだ? とびっくりする展開だ。その後、ハーンはなりかわった男の秘密の日記を手に入れ、彼がブルターニュ独立派の活動をしながら、ひそかにドイツ軍に協力をしていたことを発見する。スパイが入れ代わった当の相手もスパイだったというわけである。

この作品は近代的なスパイ小説らしい、渋い筆致で書かれているが、しかし内容的には非常にドラマチックで、後半に入るとハーンと(彼がなりかわった男の)許嫁が恋に落ち、戦争中ならではの、読んでいるこちらまで胸が痛くなるようなロマンスが展開される。本作は映画化されたようだが、むべなるかな。ヘレン・マッキネスはもっと知られてもよい作家である。