2016年4月17日日曜日

53 E・フィリップス・オッペンハイム 「ミスタ・マークスの秘密」

Mr. Marx's Secret (1899) by E. Phillips Oppenheim (1866-1946)

オッペンハイムはスパイ小説やミステリを大量に残している。もっとも有名なのは私が訳した「入れかわった男」(原題 The Great Impersonation)で、ドイツ人将校が自分と瓜二つのイギリス人貴族を殺害し、彼の振りをしてイギリス上流階級に潜入し、情報を収集しようとする、という物語である。もちろん最後にはどんでん返しが待ちかまえている。

私はオッペンハイムがそれほど好きというわけではないが、それでも二〇作品くらいは読んでいる。その中でよかったのは The Strange Boarders of Palace Crescent (1934) で、ロンドンのいかがわしい下宿の雰囲気が魅力的に描かれている。つまらない作品もあるけれど、目が離せない作家である。(「目が離せない」なんて書くと、オッペンハイムが生きているみたいな印象を与えるかも知れないが、彼の作品がデジタル化されるたびに手に取っているので、現役作家が新刊本を出すたびに読むのとあまり変わりはないのである)

本作はオッペンハイムの初期の作品といっていいだろう。最初の百頁ほどは驚きながら読んだ。オッペンハイムは貴族を主人公にすることがほとんどなのだが、この作品では百姓の息子フィリップ・モートンが主人公=語り手なのだ。ビールをつくって誰にでもふるまう気のいい父親の話、その父親が嵐の日に殺害される話、ヨットが座礁し太平洋で死亡したと思われていた大地主レイヴナーが数年ぶりに生還する話、母親が謎の振る舞いをする話、主人公=語り手が文学好き・学問好きの少年に育つ話、それを見た大地主のレイヴナーが彼に教育費を出そうと申し出る話。センセーショナルな挿話も含まれているが、基本的にはビルドゥングス・ロマンでも読んでいるような感じである。文章も、もちろん百姓の息子が書いているのだから当然だが、素朴でくせのないものになっている。オッペンハイムも最初の頃はこんな作品を書いていたのかと少々あっけにとられた。

しかし百姓女であったはずの母親が、なぜか主人公に莫大な遺産を残したというあたりから読者は、おやおや? と思うことになる。エチケット違反かもしれないがばらしてしまおう。主人公=語り手の母親は貴族の娘で、たまたま百姓の男と一緒に生活することになっただけなのである。本書の主人公は、オッペンハイムらしく、やはり貴族なのだ。

ところでタイトルのミスタ・マークスは、語り手の母が亡くなった後、その後見人になってくれる大地主レイヴナーの秘書である。レイヴナーとミスタ・マークスは外国で知り合い、意気投合し、その後ミスタ・マークスはレイヴナーの仕事を手伝っている。脇役のようだが、陰で何をやっているかわからない人物である。語り手は彼の奇妙な振る舞いに当惑させられる。一例をあげよう。レイヴナーはまだ歳若い語り手に、ドクタ・ランドルという教師のもとで個人教育を受けるか、それともパブリック・スクールに行って大勢の人と勉強するか、選択をさせようとする。そのときミスタ・マークスは、こっそりと語り手にメモを渡すのだ。そこには「ドクタ・ランドルの所にいくことだけは絶対にやめろ」と書いてあった。いったいこれは語り手のためを思って寄こしたメモなのか、それともミスタ・マークスの個人的な利害がそこにからんでいるのか、語り手は迷ってしまう。ミスタ・マークスは親切なようでいて、いつの間にか主人公を悪の道にひきずりこもうとしているようでもあり、なんとなく信頼のおけない雰囲気を漂わせる人物なのだ。

彼の正体も本書の最後になって明らかにされるが、これは言わないでおこう。こちらのほうはなかなか予想がつかないのではないかと思う。というより、そんなことがありうるだろうかと、ちょっと疑念が残るような真相である。

本書は前半は、父親が殺される場面とか、母親の奇妙な振る舞い以外、とくになにごともなく淡々と展開する。しかし後半に入り、語り手がほかの二名の生徒とともにドクタ・ランドルのもとで勉強をしはじめると、急にいろいろなことが起きはじめる。なにしろランドル先生の家を一歩外に出れば、そこは小さいといえども都会なのである。そして物語も双子の登場やら変装やらといったメロドラマ的な仕掛けが用いられるようになり、最終盤に入ると急スピードで大団円へ向かっていく。最後まで飽きないことは飽きないが、しかし終わってみれば善人と悪人の区別が非常にはっきりしていて、予定調和的な構図が見える作品だなと思う。書かれた年代を考えればそれも仕方がないのだけれど。