2016年3月30日水曜日

49 ブレット・ハリデー 「殺人の鍵は沈黙」 

Mum's the Word for Murder (1938) by Brett Halliday (1904-1977)

本作はブレット・ハリデーの処女作になる。語り手はウエスタンを書いている小説家で、題材に困って親友の警察署長に、何か面白い話はないかと打診してみたら、本作に描かれる事件に遭遇したという設定である。途中、語り手は素人作家の原稿を読み、あれこれ難癖をつけているが、私もこの本を読んでいくつか難癖をつけたくなった。文章が粗っぽくて、あまり褒められたものではないのである。前回レビューした「壁の穴亭」に較べると、文章力も登場人物のの造形力も格段に落ちる。

しかし本作には妙な勢いというか、熱気が感じられる。連続殺人事件、しかもそのいずれもが予告殺人という、猟奇的な事件が起きるのだが、作者は明らかにアガサ・クリスチーの「ABC殺人事件」(1936) を意識していて、同じパターンを用いながら、それとは違う新味を出そうと工夫している。新しいトリックを生み出そうという稚気に溢れた、しかし真剣な気持ちが行間から伝わってくるのである。ミステリの黄金時代はこうしたアマチュアの熱意によって支えられていたのではないか。

話はこんな風にはじまる。ジェリー・バークはエルパソの警察署長である。エルパソはリオグランデ川のそばにある。メキシコからの移民がこの川を渡って合衆国に入ってくるのは有名な話だ。バークが署長になった途端、マム(Mum)という名を名乗る人間が次のような新聞広告を出した。「ミスタ・バークよ、あんたはやり手なんだって? 今晩十一時四十一分にエルパソで殺人が起きる。お手並み拝見といこう。マム」

なんと予告殺人だ。誰が殺されるかはわからないので、バークは語り手の作家と共に殺人予告の時間までじっとしているしかなかった。そして殺人は予告通りに行われた。とある金持ちが家の中で殺されたのである。犯人は外からブラインド越しに金持ちを銃殺したらしい。

さっそくバークの調査が始まるのだが、もっとも強い動機を持つと思われる人物にはちゃんとしたアリバイがあって、捜査は難航する。そうこうしているうちに第二の挑戦状が届いた。「先の事件の捜査はうまくいかなかったようだな、ミスタ・バーク。ひとついいことを教えてやろう。二番目の被害者は女で、真夜中頃、フアレスで殺される。あんたに捕まえられるかな。マム」

まことに挑発的で腹立たしい予告文である。しかも新聞もバークの部下も、新任の警察署長に反感を持っているものだから、前者は捜査の進展のなさを新聞紙上で揶揄し、後者は上司を出し抜いて手柄を立てようとこっそり動いたりしている。しかしバークは自分の直観を信じ、冷静に事件を調べていく。本当は平静ではいられない気分なのだろうが、自分を律し、外見に惑わされず、着実に事実を掘り起こしていくところは、非常に好感が持てる。だが、路上で金持ちの女が刺殺されるという第二の事件も、やはり容疑者に鉄壁のアリバイがあり、捜査は行き詰まる。

そこに第三の挑戦状。「まだ手探りしているのか、ミスタ・バーク。これが最後のチャンスだ。三番目の被害者は明日の朝四時三十分に殺される。マム」そしてまたもやその通りに、ある科学者が死亡する。配達された牛乳の中に毒が仕掛けられていて、それを飲んだ科学者が死んでしまったのだ。この事件も、いちばん強い嫌疑を掛けられた男がアリバイを持っていた。

殺された三人のあいだには特につながりはない。しかしいずれもマムの殺人予告の後に殺されている。いったい三つの事件のどこに連関が隠されているのか。

おそらくミステリに馴れた人なら、これだけでピンと来るものがあるにちがいない。私もすぐにわかった。だがそんなことはどうでもいい。私がふと思ったのは、この手のトリックを用いた元祖となる作品はどれなのだろうということだ。もしかしたら本作はその候補にあがるのではないか。いや、私が知らないだけで、このトリックを利用した、もっと古い作品があるのかもしれないけれど。

冒頭でも言ったけれど、この作品はまだ文章が拙劣で、とても語り手が小説家とは思えないという欠陥があるが、予告殺人というセンセーショナルな設定やら、ここでは明かすことをはばかるトリックなど、面白いミステリを書こうとする創意工夫に充ちている。そこに作者の、ミステリ作家を目指す心意気を感じた。

表題について一言。Mum's the word というのは「秘密だよ」「黙っていてね」という意味の口語表現である。作中では犯人はこの Mum (マム)を自分の名前として使っている。だが、本当は M-U-M は三名の被害者たちの頭文字を寄せ集めたものなのだ。謎を細部までしっかり作り込んでいるところに、気概のようなものを感じる。