2016年3月3日木曜日

44 モリー・シン 「歯科医院殺人事件」

Murder in the Dentist Chair (1932) by Molly Thynne (?-?)

まったく名前を聞いたことのない作家だが、本作を読むかぎり、筋立てはかなり手がこんでいるし、文章も悪くない。そこそこの実力を持った作家だと思う。チェス・プレーヤーを主人公にしたシリーズもののミステリを書いているらしい。

事件は歯医者で起きる。ミセス・ミラーが入れ歯の修理にダベンポートという歯医者を訪れる。歯医者が入れ歯の型を取りに診察室を出ているあいだに、何者かが医者の振りをして診察室に入り込み、ミセス・ミラーの喉を掻き切ったのだ。医者が診察室を抜けた短い時間のあいだに、狙い澄ましたように行われた、残酷な殺人だった。

容疑者は待合室にいた四人の患者たちである。

これはまたずいぶん柄の小さな作品だな、とわたしは最初思った。容疑者といっても一人は探偵役の老人コンスタンスだし、一人は女性で、待合室から出ていないことはほぼ確実。さらに一人は行方不明になってしまうけれども、彼は前歯を抜いたばかりで出血がひどく、しかも時間的に殺人を犯す余裕はない。残っているのはたった一人じゃないか。

しかしコンスタンスとスコットランド・ヤードの刑事アークライトの活躍のおかげで外部から真犯人が建物内に侵入した可能性があることが判明し、これで容疑者の範囲がぐっと広がった。

さらに第二の殺人が起きる。ミセス・ミラーが殺された日の晩、彼女を訪ねて大陸から渡ってきた元女優の友達が、ロンドンの路上で首を掻き切られ死亡しているのを発見されたのである。まるでジャック・ザ・リッパーみたいな犯人である。しかもミセス・ミラーが殺されたときに使われたのとおなじタイプのナイフが発見された。

このあたりから物語は意外な広がりを見せはじめる。容疑者たちやミセス・ミラーの過去を調べるうちに、彼らが昔、フランスやドイツやロシアや東洋で活動していたことが明らかにされる。事件の動機はじつはそこに隠されているのである。

ここまで読んで、この小説を歯科医院という小さな場面からはじめたのは、作者の意図的な選択だったのだろうと考えた。ロンドンは世紀末から二十世紀初頭にかけて、バビロンとも称された国際都市だった。前回レビューをした「フー・マンチューの手」もロンドンを国際都市として描いていたが、「歯科医院殺人事件」もそうなのだ。ロンドンの地図をピンの先でつついたような狭い場所で起きた事件であっても、その背景を探ると国際的な広がりを見せるようになる。本編はロンドンのそのような特性に着目した作品なのだ。捜査の途中でアークライト刑事はこぼやく。
この事件はわたしの趣味からするとあまりにも地理的に広がりすぎているな。中国製のナイフ、容疑者のキャティストックと中国とのつながり。ミラーは過去において南アフリカ、スイス、そしてわれわれの知るかぎり、ドイツとも関係を持っていた。それからさっきの女だ。彼女はロシア人を先祖に持っている。この事件はまだまだ充分に複雑じゃないとでもいうように! まさによりどりみどりだ!
本書ではスコットランド・ヤードは外国の警察と連絡を取り合って、情報を交換しているようだが、ちなみに現在インターポールと呼ばれている組織の原型は、国際刑事警察委員会という名称で一九二三年に設立されている。

ミステリにおける「外部」の設定には、私はいつも興味を惹かれる。このように国際的な広がりに着目する作品においては、外部は外国ということになるが、外国と接触のない、イギリスの片田舎で起きた事件を扱う、ミス・マープルものみたいな作品においても、外部は「都会」とか「大きな町」という形で設定される。そして悪は外部に投影されるのが通例である。私がエセル・リナ・ホワイトの「恐怖が村に忍び寄る」(本ブログの四番目のレビュー参照)を評価するのは、こういう図式性を壊した形で悪を説明しているからである。映画においても悪の形象、たとえばモンスターとか怪人とかは、外部、たとえば森の奥とか沼の底からあらわれたものだが、ある時期から普通の人の内側から皮膚を突き破って登場するようになった。ああした表現の背後には悪に対する考え方の根本的な変化があるのだろう。

それはともかく、本編の捜査範囲は二番目の殺人と共に一気に広がり、ロシア革命の話まで出てくるのだから、私が最初に抱いたこの作品への印象は見事にひっくり返された。しかしそれでも、犯人を特定するある特殊な要件に気が付けば、ミセス・ミラーを殺す可能性のある人々はきわめて限られてしまうことになり、これが犯人捜しとしては本編をちょっとつまらないものにしている。