2016年3月12日土曜日

番外9 アルバート・バーグ 「難破船」 


Derelict (2010) by Albert Berg

以下の文章は私の翻訳「難破船」に付加した後書きの文章である。

この作品はアルバート・バーグ氏の短編「難破船 (Derelict)」を翻訳したものです。バーグ氏は恐怖小説を書いていらっしゃり、そのいくつかをクリエイティブ・コモンズのライセンスをつけて無料公開しています。わたしはこの作品を読んで一驚しました。素人作家ながら、たいへんな筆力の持ち主だと感じたからです。その後作者に連絡を取り、日本語に翻訳し、原作とおなじCCライセンスのもとに無償公開してもよいだろうかとお尋ねしました。バーグ氏から快諾をいただき、わたしは才能豊かなホラー作家のごく初期の作品をはじめて日本に紹介する栄誉をたまわったわけです。

この作品のいちばんの特徴を一言で言うと、atmospheric ということでしょう。つまり、異様な雰囲気が実に巧みにかもしだされている。怪物があらわれたり、異常現象が起きてなくても、なんとはなしに不気味な感じが活字から立ち昇ってくるのです。わたしは最初の段落から一気に物語に引き込まれ、読み終わるまでテキストから目を離すことができませんでした。バーグ氏のほかの作品も同様です。スプラッター映画のように、血や内臓が飛び散るわけではないのですが、薄気味悪さが強烈なサスペンスとともに読者に迫ってきます。これだけの語りの技術を持っている人は商業作家にもなかなかいません。

確かにこの短編には、映画を含めたSF作品の影響が色濃くあらわれています。(The Beach Scene という別の短編はあきらかに日本のホラー映画の影響を受けています)ループ状の物語構成も珍しくありません。物語の細部に関しても、わたしにはちょっとわかりにくいところがある。文章も想像力の質も、いまだ荒削りです。しかし作家には習作期というものがあり、先達の真似をして作品を書き、修練を重ねて自分の独創を獲得するものなのです。だから作者の初期の作品にたいして、独創的ではないとか、細部に瑕瑾があるとか難癖をつけるのは筋違いでしょう。それよりも作家の卵が、既製品を使いながらここまでサスペンスフルな物語を構築したことを評価するべきです。

わたしは作者への手紙の中でこんなことを書きました。「この物語を読んで、退役軍人が繰返し戦争の恐ろしい夢を見る、という話を思い出しました。彼らは、合わせ鏡の内部に閉じ込められたように、思い出したくない過去の記憶の反覆の中に閉じ込められてしまいます。精神分析学者はその理由を『死への慾望』に見出します。わたしにはジョーンズの頭から顔をのぞかせる黒い、意志をもったような物体が、タナトスの肉化したもののように思えます」このような解釈の妥当性はともかくとして、わたしは「難破船」に知的な興味もそそられたことを書いておきます。

バーグ氏が近い将来、作家として大輪の花を咲かせることを期待しています。