2016年2月27日土曜日

43 サックス・ローマー 「フー・マンチューの手」 

The Hand of Fu-Manchu (1917) by Sax Rohmer (1883-1959)

前回レビューした作品が東洋の脅威を扱っていたので、なんとなくこの本を選んでしまった。しかしそれにしてもフー・マンチューものを読むのは何十年ぶりだろう。数冊読んだはずだが、まるで記憶にない。このブログでは既読の本は扱わないことにしているが、もしかしたら「フー・マンチューの手」をティーンのころに読んだかもしれない。しかし全然覚えていない。登場人物の名前にかすかな聞き覚えはあるのだけれど。

ただ最初のフー・マンチューもの The Mystery of Dr. Fu Manchu の出だしが pea soup とも呼ばれる霧に包まれた夜のロンドンからはじまっていたことは思い出した。本編もやはりロンドンの霧の夜からはじまる。ドクタ・ペトリがホテルの一室にいると、何か廊下から物音がする。部屋の中には十一月のロンドンの霧が外から忍び込み、ぼんやりと漂っている。「誰だね、そこにいるのは」と彼は言う。冒頭から不気味だが、しばらくするとなんのことはない、彼の大の親友ネイランド・スミスがあらわれる。この二人が黄色人種の脅威、フー・マンチューと闘うヒーローたちである。

しかし驚いたことにこの本ではフー・マンチューは死んだことになっている。これはフー・マンチューものの第三作に当たるから、二作目で彼は死んだのだろう。二作目は読んだと思うが内容はまるで覚えていない。だがフー・マンチューが死んでも彼が所属する悪の組織シー・ファンが活動しているのだ。イギリス、いやいや、ヨーロッパから、まだ危機は去っていない。シー・ファンは東洋の秘密結社で、女帝を戴く世界帝国の建設をもくろんでいる。フー・マンチューはその組織の中で重要なポストについていた。

シー・ファンが本書で最初に起こす事件は、以前随行員として北京の英国領事館に勤め、その後モンゴルを探検してシー・ファンの秘密をかぎつけたと思われるサー・グレゴリー・ヘイルの口を封じることだった。サー・ヘイルはモンゴルに入ってから半年あまりも行方不明になっていたのだが、突然ロンドンにあれわれ、ネイランド・スミスに会いたいと連絡してきたのだ。彼はモンゴルから青銅の箱をイギリスに持ち帰り、それを守るようにしてホテルの部屋から一歩も出ず、一睡もしていなかった。その箱の中にシー・ファンの組織の鍵となる何かが入っているらしい。

ところがネイランド・スミスとドクタ・ペトリが元随行員の部屋に行くと、サー・ヘイルは口がきけなくなっていた。何ものかが発声器官を麻痺させてしまう、ある東洋の植物の匂いを、ベッドに横たわっていたサー・ヘイルにかがせたのである。閉め切ったホテルの一室に、彼の他にいたのは忠実な召使い一人だけ。シー・ファンの仕業であることは明らかだが、いったいどうやってこの毒花はサー・ヘイルのもとにもたらされたのか。そして青銅の箱の中身は?

この小説はいくつものこうしたエピソードから成り立っている。その一つのエピソードではやっぱりフー・マンチューが登場する。彼は頭蓋骨を拳銃で撃たれたが、歩行に支障をきたしただけで生きていたのである。そして彼は頭蓋骨の中に残る銃弾を除去させるために二人の名医を誘拐する。そのうちの一人はなんとドクタ・ペトリである! 彼らはこの大手術を成功させ、解放される。そしてフー・マンチューはまたしても悪事に精を出すことになるのだ。

チープで仰々しい表現が羅列され、構成もやや散漫な印象を与える小説だが、これはこれで一つの立派な都市小説だなと感じた。もちろんここに描かれるのは明るい陽差しをあびて、人や車が忙しく行き交う大通りではない。闇の奥にうごめくものを隠している、両側を家々にはさまれた狭い怪しげな通路である。また、この小説は都会の住人としてイギリス人を描くだけではない。帝国主義と国際化の拡大の結果、マレー人の下僕、ヒンドゥー人の厩舎係、中国人の料理人、その他地中海やアフリカから渡来した、あるいは連れてこられた人や物や動物や文化が雑然と集合するロンドンを描いている。さらに、この小説はロンドンの現在を描くだけではない。大邸宅の分厚い隔壁や地下に隠された、邸宅の主も知らない秘密の部屋、秘密の通路をとおして、ロンドンには歴史の古層が隠されていることを示している。そういう意味でこれは都市というものをはなはだロマンチックにとらえた作品なのである。しかしながら、闇のヴェールの向こうにあるもの、自分たちとは文化の違う異国の人々、隠された不可視の構造は、同時に得体の知れない不気味なものとしても捉え返される。フー・マンチューというのはそうしたロマンチックな視線の歪みが実体化したものではないだろうか。