2015年12月5日土曜日

26 ドロシー・ベネット 「いましめを解かれた殺人」

Murder Unleashed (1935) by Dorothy Bennett (? - ?)

サンフランシスコの十一月の霧の夜、デニス・デヴォアがホテルの自室のドアを開けると、ナイフで刺殺された女の死体が血の海の中に転がっていた。本書はいきなりセンセーショナルな場面から開始される。

殺されたのはデニスが見たこともない女だ。デニスが外出中であることを知っていた誰かが、女を彼の部屋に誘い込み、殺害したらしい。では、デニスはこの事件に何の関係もないのかというと、どうもそうではない。

話は一年前にさかのぼる。デニスはある女友達とドライブに出かけた。女が運転していたのだが、途中で彼女は人を轢き殺してしまった。パニックを起こした女はそのまま逃走。しかし彼女を自宅に送り届けたデニスは、彼女の代わりに警察に出頭し、自分が轢き逃げ犯であると名乗り出た。デニスは一年の執行猶予の後、今はラジオの歌手として働いていた。

さてデニスの部屋で殺された女だが、じつは彼女は一年前にデニスの女友達が轢き殺した男の妻だったのだ。しかも轢き殺されたと思われていた男は、車に衝突する前にすでに死んでいたようなのだ。謎が謎を呼ぶ展開である。デニスは二つの事件の連関を探って調査をしようとするのだが、それを邪魔するかのように、関係者が次々と殺されていく。

本書はいろいろと特徴のある作品である。三つの特徴が特に目についた。

まず第一に表現が妙に詩的だ。
彼の目は下に向けられたままだった。目は恐怖に大きく見開かれていた。ちょうど月の出ていない夜が暗闇に大きく開かれているように。
などといった表現がふんだんに用いられている。またデニスが歌手であるため、歌の文句が詩のように本文に挿入されている。正直なところ、こうした書き方が効果があげているかというと、そうは思えない。それどころか鼻について仕方がない部分さえある。しかし作者はこういう文体でミステリを書いてみたかったのだろう。彼女は How Strange a Thing という九十ページ以上もある韻文形式のミステリを書いているくらいだ。詩人がミステリを書く例は珍しくないが、詩の形式でミステリを書くというのはそう多くはない。(私が知っている例は、H.R.F.キーティングの Jack the Lady Killer やオリバー・ラングミードの Dark Star くらいである)

二つ目の特徴は、この作品の探偵役を務めるのがデニスであるという点だ。殺人事件の容疑者となった彼にはピーターという弁護士がつき、ケネディという新聞記者も彼の味方となって調査を助けてくれる。私はてっきりピーターか、癖の強いケネディが探偵役になるのだと思っていたら、なんとデニスが見事な推理を展開するのだ。容疑者とその弁護士が協力して調査に当たり、その際、弁護士のほうが脇役に廻るというのはあまりお目にかかれない設定である。

第三の特徴はデニスの推理の仕方である。それは厳密な演繹的推理とは言えない。いくつかの事実から直感的に全体を把握していくという方法である。煙草の吸い殻とか指紋といった物的証拠を積み重ねて議論を推し進めるのではなく、ある特定の場面における人物の行為・表情から、直感的洞察力を働かせて、その内面の真実を見抜くのである。デニスと犯人がはじめて遭遇した場面の奇妙さを指摘する部分などに、デニスの推理力はよく発揮されている。もしかしたらこういう推理は、作者が目指す詩的な想像力の一部分をなすのかもしれない。

最後にタイトルについて書いておこう。正直なところ、このタイトルの意味がよくわからない。本文中には leash について次のような説明がある。デニスは殺人事件の容疑者になるが、警察はすぐ彼を逮捕しようとしない。その理由をデニスはこう推測する。
長いリードをつけておくと、多くのバカ犬は勝手に自分で自分の首を絞めてしまう。警部はそういう作戦をとろうとしているんだと思う。リードをありったけのばして、おれがそれに絡まって動けなくなるのを待っているんだ。
これによると leash (ペットをつなぐリード)は動きを制限し、下手をするとあがきがとれなくなるくらい絡みつくものということになる。「動きを制限し、下手をするとあがきがとれなくなるくらい絡みつくもの」とはいったいんなんだろう。私にはこれがよくわからない。しかしともかく leash がそういう意味だとすればタイトルは、そのような制限のない殺人、暴走する殺人ということになる。それは犯人の目に宿っていた、ネズミの目のような赤い光が示唆するものでもある。

瑕瑾はあるが、決して悪くない作品だと思う。