2015年12月28日月曜日

31 アンナ・キャサリン・グリーン 「円形の書斎」 

The Circular Study (1914) by Anna Katharine Green (1846-1935)

私はメロドラマを否定しない。大げさで波乱に富み、時には空虚なくらい感情過多なあの形式は、確かに俗っぽいものではあるけれど、いまだに我々の思考に取り憑いている。たとえばフロイトのモーゼの物語や、エディプス神話、原父殺害のシナリオなどはメロドラマ的な想像力以外の何ものでもない。メロドラマはおよそありえないような偶然に支配されているようだけれど、そうした仕掛けによってある種の根源的な力の働きようが極端な形で提示されているように思える。

アンナ・キャサリン・グリーンはメロドラマを主体にしたミステリを書いた人である。しかし彼女の作品は「レヴンワース事件」以外、ほとんど知られていないのではないだろうか。ファーガス・ヒュームが「二輪馬車の秘密」以外、まったく読まれていないこととよく似ている。しかしいずれの作家も食わず嫌いを起こさずに読んでみれば結構面白いのだ。たとえばグリーンに関して言えば「隣の家の事件」(That Affair Next Door)は最後のひねりが実によく効いた物語だし、「見捨てられた宿」(The Forsaken Inn)のゴシック的な味わいは捨てがたい。

本編「円形の書斎」は珍しい形を取っている。前半部分はニューヨークの豪邸で起きた奇怪な殺人事件が解明され、後半部分はその事件に至るまでの二つの家族の情念の物語が語られるのだ。コナン・ドイルの「恐怖の谷」とよく似た構成である。前半において事件の解明に当たるのは、グリーンの作品ではおなじみのグライス警部とミス・バターワースの名コンビ。グライス警部はこの本ではもう八十代だという。なんだか感慨深い。

警察の仕事を引退することを考えていたグライス警部のもとに、ある日、不思議なメッセージが届く。とある金持ちの豪邸で奇妙な事件が起きているようだ、というメッセージである。さっそく警部が現場に駆けつけてみると、確かにその家の主がナイフで胸を刺され、円形の書斎に倒れていた。しかもその現場にはいろいろと不可解な特徴がある。たとえば男はナイフで残忍な殺され方をしているというのに、なぜかその胸には十字架が載せられていた。聾唖者の召使いは主人が殺される場面を目撃して気が触れてしまったが(こういう設定は実に時代を感じさせる)、どうも彼は主人が亡くなったことを喜んでいるようなふしがある。そして現場にはインコの籠があり、インコは「イーヴリンを忘れるな」とか「かわいそうなエヴァ」といった謎めいた台詞を繰り返していた。

グライス警部とミス・バターワースが知恵を出し合って事件の犯人を捕まえると、犯人は事件の背後にあった二つの家族の確執の歴史を長々と語りはじめ、その中で事件現場にあったさまざまな謎が解明されることになる。

本作はミステリとしてさして出来はよくないが、しかし作品の中で起きる「反復」には注目させられた。それはイーヴリン/エヴァという反復である。後半部分を思い切り単純にまとめるとこうなる。A家のイーヴリンという少女がB家によって死に追いやられた。A家はB家のエヴァを絶望あるいは死に追いやることで復讐を果たそうとする。奇しくもイーヴリン Evelyn とエヴァ Eva は名前も似ているし(Evelyn の略称は Eve)、同じように美少女で誕生日が一致している。少女の死が反復されると思いきや、A家の殺意はみずからに跳ね返り、復讐の首謀者であるA家の人間が殺されてしまうのである。

B家の人間(ジョン・ポインデクスターのことだが)は明示的に示されてはいないものの、どうやら相当にけしからぬことをイーヴリンにしたようである。A家が彼には「貸し debt」があると考えるのは当然だろう。ところがB家の人間(ジョン・ポインデクスター)は貸しがあることなど徹底して認めないのである。その非人間性にはグライス警部もミス・バターワースもあきれるくらいだ。A家の人間がいくら情熱をこめて復讐しようとしてもその目論見は彼には通用しない。彼は苦しむことを知らない人間なのだから。心を持たない人間なのだから。反復の目論見はここで挫折する。

ディケンズの「クリスマス・キャロル」では我利我利亡者のスクルージが最後には隣人愛に目覚めるけれど、本書におけるジョン・ポインデクスターはどこまで行っても自分のことしか考えられない人間だ。メロドラマにはよく復讐譚があらわれる。「モンテ・クリスト」のように復讐の鬼になる人間があらわれる話だ。「円形の書斎」におけるA家の人々も復讐の鬼である。とりわけフェリックスの復讐にかける一念はすさまじい。しかしそんな復讐など「蛙の顔にしょんべん」と受け流してしまうような人間がここには描かれている。これでは従来の復讐譚が成立しないのである。いったいこれは何を意味するのだろうか。ミステリとしてはものたりない作品だが、資本家のモラルの変容と、メロドラマの挫折が描かれている点、私は興味を惹かれる。。