2015年12月9日水曜日

27 エルマー・エヴィンソン 「素人探偵」

An Amateur Performance (1909) by Elmer Evinson (1872- ?)

本書の終わりのほうには電気椅子への言及がある。そこでふと電気椅子はいつごろ死刑の方法として用いられるようになったのだろうと思った。ウィキペディアによると電気椅子による死刑を行っていたのはアメリカとフィリピンだけだそうだ。「行っていた」というのは今ではもう用いられていないからである。アメリカで最初に法律として電気椅子の使用が定められたのは一八八九年。この物語が書かれる二十年前だ。はじめて電気椅子にかけられたのはウィリアム・ケムラーという人で、一八九〇年八月に、まず千ボルト電流を十七秒間流されたのだそうだ。ところがそれでも息をしていたため、今度は二千ボルトの電流を流して彼を殺したそうである。電気椅子は絞首刑より人道的だと考えられて導入されたのだが、最初から無残な、そして皮肉な結果に終わっていたのだ。電気椅子は一九〇〇年頃には死刑方法の主流を占めるようになり、一九八〇年代に薬物が広く用いられるようになるまでつづけられた。

閑話休題。

本書はまことに古いタイプの detective story である。シャーロック・ホームズとワトソンのような二人組がいて、もちろん明敏なる名探偵が事件を解決するために八面六臂の活躍をするのだが、それは物語の前面にはあらわれず、彼から探偵の補佐を頼まれたワトソン役の、少々危なっかしい冒険が主眼に描かれる。本書でシャーロック・ホームズの役を演ずるのはクレイトン・キーン、ワトソン役を演ずるのはミスタ・ワッツである。名前からしてワトソンを連想させる。

事件の様相は二転三転するので順を追って説明しよう。

まず、ニューヨークの実業家で大金持ちのロジャー・デラフィールドが寝室で死亡する。その日、娘のヘレンが厩務員の男と駆け落ちしたという知らせに大きなショックを受け、ガス自殺をしたものと考えられた。

ところがキーンの捜査により、これが悪党三人組による他殺であることが判明する。悪党三人組とは、ロジャーの再婚相手(妻)と、彼が秘書に雇った男と、甥っ子のロジャー・エラーブである。とくにロジャー・エラーブはこの殺人の首謀者と言える。彼は叔父の息子アーサーと瓜二つなのを利用して、彼になりすまそうとした。彼はまずアーサーを殺し、セーヌ川に死体を捨ててしまう。さらに叔父とその娘を亡き者にしてしまえば、ごっそり遺産が手に入るはずだった。その計画を実行に移すために知り合いの悪党二人を叔父に接近させたのである。意外なことに叔父は二人の悪党のうち、女のほうに懸想し、妻として娶ってしまったのだけれど。

ロジャー・デラフィールドの娘ヘレンが厩務員の男と駆け落ちしたというのも億万長者の死を自殺らしくみせかけるために流された嘘で、彼女は悪党どもによって連れ去られたに過ぎないかった。

この話にはさらに一ひねりが加えられる。それは殺害されたはずのアーサーが実は生きていたといことである。しかし彼はロジャー・エラーブたちの悪巧みを阻止しようとして、逆に捕まえられ囚われの身となってしまった。

殺人事件の背後では、波瀾万丈の物語が展開しているようだ。こうした事情が物語の中で徐々に明らかになってゆくのなら、それなりに面白い物語が出来たのではないだろうか。しかし以上の内容は、探偵キーンの説明として一気に語られる。そう、探偵キーンが事件の真相を突き止める過程は、あくまでサブプロットに過ぎないのだ。物語の主眼は生まれてはじめて探偵活動をするミスタ・ワッツの冒険にある。というわけで、われわれはミスタ・ワッツが美しいヘレンを救出し、悪党どもと闘い、命からがら危地を逃れ、最後にヘレンと結ばれるという、なんともロマンチックな物語を読まされることになる。

変装やら、双子のようにそっくりの人間やら、善悪のきれいにわかれた人物描写やら、あきれるくらい古い物語のパターンと、古い倫理観に貫かれた作品である。文体もまことに古くさい。いや、単に古くさいと言うだけでは誤解されるだろう。この物語はじつに均整のとれた見事な文章で書かれているのだが、その背後には世界を一定の基準で裁断・把握することが可能だという信念が透けて見え、その考え方がいいようのない古さを感じさせるのである。

よく考えたらこの作品が書かれた同じ年に、本ブログで最初にレビューをしたキャロリン・ウエルズの「手掛かり」も書かれている。こういう古い detective story が量産されていた時期に、あれだけ近代的ミステリの結構を備えた作品を書いたのだから、キャロリン・ウエルズはやはりすごい。