2015年12月12日土曜日

28 R.フランシス・フォスター 「彼方からの殺人」 

Murder From Beyond (1930) by R. Francis Foster (1896-1975)

正式名称は忘れてしまったけれど、ロンドンには心霊協会というものが、たしか二つくらいあって、私はその一つを訪ねたことがある。建物は、大きなお屋敷を改造したもので、なかなか雰囲気があった。さんざん歩いてそこに着いた私は喉が渇いていたのでコーヒーの自販機がある場所へまず行ったのだが、そこには人相の悪い男が一人ぽつんと座っていて、私をじろりと見つめるのだった。コーヒーを買って席に着き、彼に話しかけたら人相の悪い男は「おれは今朝刑務所を出てきたんだ」と言った。

私がその瞬間考えたことは、今朝刑務所を出てきたばかりならおそらく拳銃とかは持ってないだろう。背の高さは同じくらいだが、こっちは毎日身体を鍛えているから筋肉のつきかたが違う。格闘になっても五分五分以上に渡り合えるだろう、ということだった。そしてもう一つ考えたことは、ここに来る途中の廊下で、奇妙に緊張した面持ちの女とすれ違ったが、こいつのせいだったのだなということだった。

さほど怖れるには当たらないと判断した私は、コーヒーを飲みながらのんびり彼と話をしようと思ったのだが、相手は世間をすねたようなことしか言わない。そのうち私は彼が気の毒になった。彼は仕事があって食べて行けさえすれば犯罪は犯さなかったであろうことがなんとなくわかったからである。

十分くらいしゃべったころ守衛がコーヒー・ルームに入ってきた。初老のでっぷりふとった男で、入ってくるなり人相の悪い男に「出ていけ」と怒鳴りつけた。男はとたんに気色ばんで立ち上がり、二人は口論をはじめた。見ていると守衛は威勢こそいいが、相手は若いからけんかになったら分が悪いとふんだのだろう。じりじりと私の後ろに移動したのである! 相手がかかってきたら私を盾にするつもりなのだ。私はそういう卑怯者が嫌いなので、二人の怒鳴りあいに割り込んで「彼は私の友達だ。今おしゃべりをしていたところだ」と言ったのだが、その途端に刑務所から出てきた男はコーヒー・カップを守衛に投げつけ、守衛もテーブルにあった誰かのカップを投げつけ、私も「やめろ」と言いながら自分のカップを床に投げつけた。

刑務所から出てきた若い男はさんざん毒づきながら部屋を出て行き、守衛も私に「大丈夫か」と訊いたあと出ていった。

私は「彼方からの殺人」を読みながら何年ぶりかであのエピソードを思い出した。このタイトルの「彼方」というのは霊的な世界を意味するのである。もっとも私は心霊協会で霊的ならざる体験をしてしまったのだが。

推理小説に限らず十九世紀の世紀末から一九三〇年代ころまでずいぶんとスピリチュアリズムを扱った本が書かれた。当時は降霊術が大流行し、科学では解明できないもう一つの世界の存在が「一部」の人々の間で信じられていたのである。もっとも怪奇現象や降霊術のほとんどは単なるトリックであったようだけれど。しかしこれはミステリや怪奇小説の分野では格好のネタとなり、中には興味深い作品も書かれている。たとえば私が昔訳したメアリ・ロバーツ・ラインハートの「見えない光景」(Sight Unseen)とか、 Rita という筆名の人の Turkish Bath とか、ジョン・ミード・フォークナーの The Lost Stradivarius などは、あまり知られていないけれども、スピリチュアリズムを扱った秀作だろう。

「彼方からの殺人」の中身についてはあまり話したくない。古典的な推理小説かと思いきや、途中からオカルトに染まる展開は、非常に面白かった。その展開の意外さを、偏見も何の知識も持たずに味わって欲しいからである。しかし原作が読めない人もいるだろうからおおざっぱにどんな話かというと……。インドにプランテーションを持っていたウオートン一家がイギリスに帰国した途端、その家には幽霊が出るという噂が立った。そののちウオートン家の奥さん、その不倫相手をしていたとされる若い男、ウオートン一家と付き合いのあった牧師等々が次々と殺害されていく。ウオートン家の娘マージェリーは事件を解く鍵を知っているようなのだが、なぜか決してそれを語ろうとはしない。この事件を二人の新聞記者(トム・マニングとアンソニー・レイヴンヒル)が、地元警察やスコットランドヤードを協力して解決していくことになる。登場人物はきわめて多く、事件は複雑な様相を呈する。細かな事実が収集されては推理が展開され、最後はウオートン一家の秘密が暴露される。物語はテンポよく進み、適当な間隔で殺人や事件が起きるのでまったくあきることがなかった。しかもある種の雰囲気が作品に立ち籠めていて、それが映画の音楽や効果音のようにスリリングな味わいを高めている。