2015年10月3日土曜日

13 W.スタンレイ・サイクス 「死んだ男」

The Man Who Was Dead (1931) by W. Stanley Sykes (1894-1960)

物の秩序、言説の秩序にある種の齟齬、矛盾、乱れを見出し、それを鮮やかに指摘する。それが古典的なミステリの醍醐味だが、サイクスの「死んだ男」もその面白さを味わわせてくれる。

本編は警察小説といっていいだろう。サウスボーンという保養地でユダヤ人の金融業者が行方不明になり、地元警察のリドリー警部とスコットランド・ヤードのドゥルーリー警部が協力して事件を解決しようとする。警察の捜査や張り込みや協議の様子が細かく描かれ、作者がお医者さんであるせいか、薬物に関する記述も詳しい。

このドゥルーリー警部はもとはラグビー選手だったらしいけれど、その豪快な体格にもかかわらず、非常に緻密に事実を整理する癖を持っている。事件が起きると、あらゆる事実を時間系列に従って書き留めてゆき、同僚からは「ブラッドショー」つまり鉄道時刻表というあだ名をつけられている。

彼のこの習慣が事件解決への重要な糸口をつかむきっかけになる。捜査の過程で警察が入手したある手紙は、普通に読むと何と言うこともない、ありきたりの内容なのだが、警部の緻密な観察眼は、じつはそこに時間的な無理が含まれていることを見出す。その途端に手紙は、書き手と犯罪との連関を示唆するものとなるのだ。正直に言って、私はドゥルーリー警部が指摘する時間的無理について気がつかなかった。注意深く読んでいればたぶんわかったはずなのに。くやしい。

ドゥルーリー警部は小説を読むときも物語の矛盾や著者のまちがいを見つけようとする。物語自体よりも、矛盾やまちがいを見つけることのほうにより大きな悦びを覚えるという。まるでジャック・デリダみたいな男だ。

彼の趣味は、物語の後半においてある人物の告白文を分析するときに再び威力を発揮する。手紙の時と同じように、その告白文も表面的には一貫性があって、どこにも問題はないように思える。しかしながら書き手の力点の置き方や省略の仕方に着目するとき、その告白文には嘘が含まれていることが疑われてくるのである。

ドゥルーリー警部は一緒に捜査をしているリドリー警部にこんな趣旨のことを言う。どんなに完璧な犯罪計画を立てても、自然な出来事の推移とは異なる、人為的な特徴が必ず見つかる。どんな暗号も解読されるように、犯罪者がいくら注意して犯罪を構成しても、細部を丹念に調べれば、あらかじめ手はずを整えていたことがきっと分かるものだ、と。

ドゥルーリー警部は一見して自然な物事の秩序、あるいは一見して自然な言説の中に作為の痕跡を突き止めるのである。

さて粗筋を簡単に紹介しておこう。

サウスボーンの金融業者イスラエル・ラヴィンスキーが突然行方不明になった。彼は町の著名人や有力者を相手に金貸し商売をしていた。著名人たちは偽名を用い、けっして世間にはばれないようにして彼から大金を借りていた。

警察がラヴィンスキーのオフィスを捜索すると、エドワード・デリントンなる人物の、五千ポンドにものぼる約束手形が紛失していた。エドワード・デリントンは町の名士の一人が偽名として使っている名前なのだろう。もちろんラヴィンスキーは顧客の偽名と本名、および住所を記した秘密の住所録を持っていたが、それが盗まれていたため、デリントンの正体はわからない。しかしデリントンが自分の借金を帳消しにするため、秘密の住所録を盗み、金融業者をどうにかしたらしい、という推測は容易につくだろう。

警察は驚くほど機敏な捜査を展開し、ラヴィンスキーが失踪した当日の夜、家から車で、とある住宅地へ行ったことを突き止める。そこで住宅地にある家をしらみつぶしに調べて行くと、レイドロウという医師の家で、妻が警察の尋問にいささか不審な行動を示した。ラヴィンスキーという名前を聞いた途端に彼女は失神してしまったのである。それをきっかけとして警察はレイドロウ夫人に目をつけることになる。不思議な偶然だが、ラヴィンスキーが失踪したと思われる頃に、レイドロウ夫人の夫は髄膜炎で死んでいた。

これを読んで読者はハハアと思うだろう。二人の人物がほぼ同時に死んで、一方がいなくなる。これは人間のすり替えが行われる典型的な状況である。警察は最初そのトリックにひっかかるが、関係者を徹底して尾行していた彼らはすぐに罠を見破る。このようにして警察は薄皮をはぐように少しずつ、周到に計画された事件の核心に迫っていく。

私はこれはかなり優秀な作品だと思う。少しも古びた印象がない。ドゥルーリー警部とリドリー警部が捜査の途中で何度も壁にぶつかり、そのたびに地道な捜査と冷静な思考によって突破口を見出していく様子や、徹底して「物的証拠を積み上げ」犯罪事実を立証しようとするその執念は、感動的ですらある。