2015年10月10日土曜日

15 ジョン・ロード 「収穫殺人事件」 

The Harvest Murder (1937) by John Rhode (1884-1965)

「収穫殺人事件」とは妙なタイトルだが、これはアメリカの読者向けのタイトルで、イギリス向けのタイトルは Death in the Hop Fields 「ホップ畑の死」というものだ。カルバーデンという架空の村でホップの収穫が行われる時期に殺人事件が起きるという物語である。

作品の分量を水増ししようとしたとは思わないけれど、作者はずいぶん詳しく村の様子や、ホップの収穫、収穫を手伝う出稼ぎ労働者のことを書いている。推理小説的興味から本書を読む人には、そうした記述がわずらわしいだろうけれど、私には興味深かった。当時の風俗を知る手掛かりになるからである。

この村は、ホップの収穫期になるとロンドンから出稼ぎ労働者が何千人、何万人とやってきて大賑わいとなるが、普段は閑散とした田舎の村だ。冒頭、村の巡査が宝石泥棒の通報を受けて現場に駆けつける場面があるが、なんと自転車をえっちらおっちらこいで坂道を登っていく。なんだか井伏鱒二の「多甚古村」みたいである。また泥棒にあった家も、後に放火で燃えてしまう別荘もそうなのだが、留守のときに窓を閉めずに開けっ放しにしている。最近はごく稀になったが、一部の田舎では今でも外出するときに鍵を掛けたり、窓を閉めなかったりすることがある。車のドアにもロックをかけない。犯罪なんて起きないし、周りにいる人々はみんな見知った仲だからである。この作品がかかれた一九三〇年代はそういう不用心というか、おおらかな習慣がかなり残っていたのだろう。もちろんロンドンみたいな都会になると話は全然違ってくる。実際、村の人はロンドンからきた労働者たちのことを「信用できない」などと言ったりする。

ホップの収穫が始まったこの村には膨大な数の出稼ぎ労働者がいる。ほとんどがロンドンの下層階級の人々である。ホップ摘みを出稼ぎ労働者に頼るようになった最初の頃は、誰彼かまわず雇っていたために、中には乱暴狼藉をはたらく者、品行不良の者もいたようだが、そうした者は雇い主があらかじめ排除するようになり、今では真面目な働き手ばかりが来るようになっている。

出稼ぎ労働者にとってはホップ摘みの仕事は、半ばは行楽である。彼らはロンドンにいるときは狭苦しくて、薬品の匂いの立ち籠める皮革工場などで働いているのだが、ホップ摘みの間だけは太陽のもと、広々とした田舎の空間で、新鮮な空気が吸えるのである。半分は物見遊山みたいなものだから、家族総出で来るケースも多いようだ。

彼らは昼間は働き、夕方になるとパブに行って夕ごはんを食べる。パブのそばでは出稼ぎ労働者向けにお菓子やら野菜やら果物やらが売られる。労働者たちはパブで飲み物を買い、屋台から食べ物を買って食事をするのである。労働者の数が数だから、ホップ摘みの期間は近隣の農村にとってもちょっとした稼ぎ時となるのだろう。もちろんパブは大賑わいで、地下室から主人の個室まですべての部屋を開放してお客を迎えなければならない。

唖然としたのは、出稼ぎ労働者の中にはロンドンから歩いて村までやってくる者があるという事実を知ったときだ。労働者はホップ農場の主に出稼ぎに行きたい旨の手紙を書き、農場主からOKの返事が来ると家財道具やマットレスを持って村へ行く。農場主は労働者のために鉄道会社に頼んでロンドンから村まで特別列車を運行してもらうのだが、運賃の払えない貧しい人々は荷車を用意して、ロンドンから村まで徒歩で移動するというのである。ロンドンからカルバーデンの村までどのくらいの距離があるのか知らないが、この話をした農場主のあきれかえりぶりから察するに、相当に離れているのではないだろうか。もうすぐ一九四〇年という時期にあっても、まだそんな生活が残っていたとは驚きである。

この小説に書かれている内容をそのまま社会学的事実として受け入れることはできないだろうが、それにしても労働者階級の生活の一断面をあらわしたものとして興趣がつきない。

ミステリとしては凡作と言っていいだろう。物語は三つの事件をめぐって展開する。それらは宝石の盗難、ある小悪党の失踪、そして別荘の放火である。カルバーデンのある金持ちの家から宝石が盗まれるが、現場に残された指紋から犯人は、逮捕歴のある小悪党であることが判明する。ところがその小悪党は、カルバーデンの村に着いてから足取りがぷつりと途絶えてしまう。犯人は宝石を盗んだあとどこへ行ったのか。地元の警察だけでなく、スコットランド・ヤードからも応援が駆けつけたのだが、小悪党の行方は分からない。そのとき近くの別荘が何者かによって放火される。警察は、小悪党は殺されたのではないか、放火は死体を焼却するためのものではないかと考えるが、焼け跡を調べても死体の痕跡はないし、死体を焼くほど火の勢いも強くはなかった。出稼ぎ労働者でいっぱいの村のどこに宝石泥棒は隠れているのか。収穫されたホップの加工過程の一つが事件を解く鍵を提供する。