2016年5月5日木曜日

56 「殺人をもってしても殺せない」 グレゴリー・バクスター

Murder Could Not Kill (1934) by Gregory Baxter

この作品は Eric De Banzie (1894-1986)と John M. Ressich という人の共著らしい。前者はスコットランド生まれのジャーナリストでミステリも書いた。後者のことはまるでわからない。

本書の中にはアメリカ人の女優と、彼女が出演してロンドンで公開されている演劇のことが話題になる部分がある。
 「彼女は本当にいい女優だと思うかい」
 「一流クラスだよ。だけど彼女が出ている劇はダメだね。古い作品の焼き直しだよ。どうしようもなく古くさいメロドラマを、現代人の好みに合わせて切り貼りし、味付けしただけだよ。だれがあんな作品をロンドンにまでもってきたのだろうね。相当の金持ちがパトロンについているんだろう。初日から客の入りが悪いんじゃないかな」
これだけメロドラマをくさしているのだから、この作品自体はメロドラマを越えた、近代的なミステリになっているかというと……残念ながらそうではない。それほど出来が悪いとはいえないが、しかしこれこそ「古くさいメロドラマを、現代人の好みに合わせて切り貼りし、味付けした」だけの作品である。あと一カ月もしたら私は内容をすっかり忘れてしまっているだろう。

物語の展開のさせ方は、前半部分に関する限り、非常にうまい。話が始まると、いきなり主人公の画家ロビンが殺人現場に出くわす。とあるアメリカ人の父と娘が車に乗っていたところ、見知らぬ男が近づいてきて車を停め、ドアを開けて中の父親の方を刺し殺したのである。ロビンはショックを受けている娘を彼女のフィアンセの家へ連れて行ってやる。そこで刑事やフィアンセたちと犯人は誰だろうと話をしていると、そこに娘の父親に対してもっとも強い殺人の動機を持っている男が登場する。この男は逮捕されそうになって大乱闘を演じ、まんまと姿を消す。

そんな印象的な一日の直後、美しい少女の面影が忘れられないロビンは、衝撃的な出来事に遭遇する。なんと美しい少女が、大乱闘を演じた殺人犯とおぼしき男と、場末の宿屋に入り込むのを目撃したのである……。

こんな具合に謎が謎を呼ぶ展開で、しかも適度なスピード感さえある。しかし後半に入って善悪の対立構図がはっきりしだすと、とたんにメロドラマ的な仕掛けが全開になるのだ。非常に都合のいい偶然があちこちで起き、思いも寄らないアイデンティティーの暴露が相次ぐ。それらの仕掛けは古いメロドラマのそれをそのまま再利用しているのではなく、確かに現代人の好みにあわせたものに変形させてはいる。たとえばロビンが恋に陥る美しい少女の正体が、最後で明かされるようにしたことなど、けっして悪くはない。しかしそれはやはり小手先の工夫であって、全体としてはやはり古いメロドラマの印象を与える。古い物語の型を蝉脱したいという気持ちはあるのだろうが、まだその書き方が固まっていない、あるいは方法論的にも十分に練れていない、という印象だった。