2016年5月19日木曜日

59 サッパー 「決着」

The Final Count (1926) by Sapper (1888-1937)

サッパーについては英語版のウィキペディアに、簡にして要を得た解説が出ている。それによると彼の本名はハーマン・シリル・マクニール。第一次世界大戦で塹壕戦を経験し、最初の頃はそれをもとに短編小説を書いていた。英国陸軍では本名で本を出版することが禁じられていたため、サッパー(工兵隊員という意味)というペンネームを使うようになったらしい。戦争後はスリラーを書くようになり、二〇年代からブルドッグ・ドラモンドを主人公にした小説を発表しはじめる。これが大当たりし、二つの世界大戦にはさまれた時期、サッパーはもっとも人気のある作者の一人だった。彼のスリラーは上流階級のイギリス人が、外国人の陰謀からイギリスを守るという物語なのだが、第二次戦争後はそのファシスト的な傾向や、外国人嫌い、反ユダヤ主義的内容が批判されるようになった。ブルドッグ・ドラモンドは攻撃的な愛国主義者で、イギリスの安定とモラルを乱す者に、その巨大・強靭な肉体でもって対抗する。ドラモンドは大男を二人合わせたくらいの体躯と怪力を持っているのだ。しかしある批評家は、ドラモンドの愛国主義は国粋主義的な傲慢といったほうがいいと言っている。また、この批評家は、ドラモンドはパラノイアにとらわれていると指摘する。つまり、ドラモンドはイギリスの上流階級が、外敵に脅かされていると考えるが、それはパラノイア的な想念に過ぎないというのだ。私はこの批評は正鵠を射ていると思う。

ウィキペディアから引用するのはこれくらいにして、私自身の感想を述べよう。私がドラモンドものを読んで非常に気になるのは、その暴力性である。サッパーは一九二二年に
「黒ギャング」という作品を書いているけれど、これなどはその暴力性を極端な形であらわしている。黒ギャングは、ドラモンドがひきいる私的警察ともいうべきものだ。ドラモンドとおなじ資産家階級の若者たちが集まり、ドラモンドの絶対的権威のもとにまとめられた組織である。彼らは資産家階級の利益を脅かす動き、たとえば労働運動などを壊滅するために密かに行動する。治安維持のために警察ももちろん動いているのだが、黒ギャングはそれとは別個に活動している。しかも警察よりも有能で、警察のように法律に縛られていないので、いっそう敵に対して残酷に振る舞う。つまり、黒ギャングは、法律的なたがのはずれた警察組織なのである。精神分析でいうところの、享楽に浸された、サディスティックな超自我がそこにあらわれている。人々がブルドッグ・ドラモンドにファシスト的なものを感じるのは当然のことだと思う。

私は、サッパーが嫌いである。しかし本当の問題は、サッパーが一時期は人気作家であったということだ。ある時期、彼のファシスト的、排外的、反ユダヤ主義的傾向は、人々から受け入れられていたということである。このことは今のわれわれも十分に反省しなければならないだろう。現代はファシズム、排外主義の時代へとまた回帰しているからである。その意味では、案外ブルドッグ・ドラモンドものは、今読み返すべき本であるのかも知れない。

本作はストックトンという法律家がドラモンドの冒険を語るという形になっている。ストックトンの親友で科学者のゴーントは、第一次大戦中に凡ての戦争を終わらせる武器、今風に言えば、決定的な戦争抑止力を持つ最終兵器(化学兵器)を作ろうとし、現実の戦争が終わってからそれを完成させる。ところが完成させると同時に彼の身に奇怪な事件が起きて、科学者は行方不明となるのである。

たまたまこの事件についてうわさを聞いたドラモンドは、ストックトンとともに科学者の行方を追う。ドラモンドは事件の背後にはカール・ピーターセンがいると考える。カールはシャーロック・ホームズにとってのモリアーティー教授のようなものだ。この世界の悪を一身に体現している存在である。本書はドラモンドものの四冊目に当たるが、一冊目からヒュー・ドラモンドとカール・ピーターセンはずっと戦っている。本書ではその長い戦いについに決着がつく。

本書を読んでいて注意を引かれた部分がある。科学者ゴーントがなぜ最終兵器を作ろうとしたのかというと、それは第一次世界大戦後にできた国際連盟が、世界の平和を維持するという役割を充分果たせず、人々を失望させたからなのだという。私は当時の一般人の国連に対する評価を知らないが、おそらくある種の失望は広く共有されていたのではないだろうか。しかし国際連盟にかわるものとして、武器を作り出したゴーントは、結局それが平和につながらない用途に使われることを知り後悔するのである。私はドラモンドの暴力性の行き着く先が、ゴーントの後悔によって示されているような気がする。もちろん作者はそんなことを意識していないだろうけれど。

私はドラモンドものを好まないと書いたが、しかし公平に見て、サッパーの書く文章は無骨だが迫力のある文章である。物語の作り方も、初期のうちはエピソードを並列的に連ねているような印象だったが、本書になるとそれなりのうまさを見せるようになっている。また、ドラモンドものは全部で十冊あるが、読むなら最初から読んだほうがいい。作品中にたいてい前作への言及があり、ばらばらに読んでいる私には充分に意味のとりかねる部分があったりする。