2016年2月24日水曜日

42 フランシス・ビーディング 「隠された王国」 

The Hidden Kingdom (1927) by Francis Beeding

フランシス・ビーディングはジョン・レズリー・パーマー(1885-1944) と ヒラリー・セント・ジョージ・ソーンダース(1898-1951)という二人の作家の合同ペンネームである。確か日本語の翻訳は出ていないと思うけれど、この二人は一九三一年に Death Walks in Eastrepps というなかなかいいミステリを書いている。ミステリ・ファンなら犯人を当てるのは容易だろうが、しかし書きっぷりといい、小説の構成といい、堂々とした作品で私は感服した。

本編はミステリとはちょっと違う。国際的陰謀をめぐる冒険談、あるいは犯罪小説といったほうがいいかもしれない。しかしホームズもののモリアーティー教授みたいな人間が出てきて、さらにフー・マンチューものを思わせるような東洋への怖れ(黄禍論)が見られ、この当時のパルプ小説やミステリに見られる想像力の形が確認できる作品になっている。

善悪図式が明瞭に表現されている作品で、善玉はフランスの諜報員レミーとガストン、それに二人の親友であるイギリス人のトマス。悪玉のほうはヨーロッパを混乱に陥れようとするクロイツェマルク教授とその部下エイドルフ、そして教授を援助するその他の人々である。教授の名前はナチスのハーケンクロイツを、エイドルフはアドルフ・ヒトラーの名前を想起させるが、これは作者が意図的にそうした名前を選んだのだろう。登場人物は善玉か悪玉のいずれかの陣営に属しているが、一人だけ特殊な人間がいて、それがガストンの恋人スザンヌである。彼女は義父が悪玉であったため、たまたま悪党たちと行動を共にするが、もちろんそれは彼女の望むことではない。彼女は善玉が悪玉に捕らえられてしまったときに彼らを助けようとし、それと引き替え条件に悪玉の計画に利用されることになる。

この物語を一言でまとめるとクロイツェマルク教授がモンゴルを軍事化させ、その指導者となり、ヨーロッパに襲いかかろうと計画するが、善玉陣営がそれを見事阻止するということになる。

クロイツェマルク教授がモンゴルの指導者になろうとするとき利用するのが、モンゴルに古くからあるとされる伝承で、これによるとあるとき「解放者」がモンゴルにあらわれ、彼が「恐怖の大王」を黄泉の国からこの世に呼び戻すのだそうである。そしてこの「恐怖の大王」に率いられモンゴルは、かつてチンギス・ハンが築いたような大帝国を形成するというのである。悪玉陣営はこれを使ってモンゴルを我が物にしようとする。もちろん「解放者」を彼らの一人が演じ、「恐怖の大王」にはクロイツェマルク教授がなるのである。

荒唐無稽もはなはだしいが、しかしジャンル小説というのはそういうものだ。現代のベストセラー作家、たとえばダン・ブラウンだって、同工異曲の物語をつくっている。そしてビーディングの想像力の根底にあるのは次のような考え方だ。
 「チンギス・ハンの子孫の間に何が起きているのだろう。世界の誰の目からも隠されたこの地域で、我々の知らないどんな力が解放されようとしているのだろう」
 「二十年前、ヨーロッパはそんなことを気にする必要はなかった。我々は堅固に守られ、栄えていた。安定した政府を持ち、ヨーロッパという組織に信用を寄せていた。しかしそんな時代は過ぎた。表向き、西洋文明はまっすぐに立っている。しかし混乱と不満に充ちた勢力に日々接している我々は、西洋文明がちょっとしたことであえなく崩れ去ることを知っている。ヨーロッパは今晩安らかに眠るだろう。しかしヨーロッパがが眠っている間にアジアの中央からアッティラが率いる騎馬隊が草原を越えて忍び寄っている。ヨーロッパは幼い子供だが、幼少にしてすでにその首都の廃墟の中を飢えた狼がうろついている」
ヨーロッパとその外という二分法は、黄禍論に限らず、人種差別や難民への偏見にも見られる構図である。ヨーロッパと非ヨーロッパをわける線はどこにあるのか、ということをめぐって、いまだに多種多様な冗談が生まれているくらいだ。しかしクロイツェマルク教授やエイドルフがヒトラーを暗示しているということ(この作品は一九二七年に出ているからそれは十分に考えられる)、そして彼らがヨーロッパを脅かすモンゴルと一体化するということは、実はヨーロッパの内部的な行き詰まり(デッドロック)がその外部に投影されているということを意味するのではないだろうか。我々は本来内部的な問題を(たとえば雇用の不足を)内的な問題ととらえず、ついつい外部(移民)に投げかけてしまうのである。ジャンル小説というのは案外政治的な意味を持つものだ。

なお本編は一九二五年に出た The Seven Sleepers の続編であるであることを付言しておく。