2016年2月6日土曜日

39 ダービー・セントジョン 「ウエストゲイトの謎」 

The Westgate Mystery (1941) by Darby St. John (1909-55)

驚いた。前回読んだ本はひどい出来だったが、「ウエストゲイトの謎」は風格のある見事なミステリだ。ランダム・ハウスから出た本だが、さすがに目が肥えている。いい本を出してくれた。

ウエストゲイトというシアトル近辺の小さな町を舞台にした物語である。小さな町といっても、語り手のウイリアム叔母さんをはじめ、大金持ちが何名か住んでいる海沿いのコミュニティーだ。

登場人物は膨大で人間関係は複雑である。とても全体を短く要約することは出来ない。最初の殺人が起きるところまでをかいつまんで説明しよう。

語り手のウイリアム叔母さんにはロジャー、ギルバートという二人の孫がいる。ロジャーはまだ学生で、歳上のギルバートは銀行家である。ロジャーにはキャサリンというフィアンセがいるのだが、あるとき二人は烈しい喧嘩をし、ロジャーはそのはずみでペネロペという女と衝動的に結婚してしまう。このペネロペというのがウエストゲイトの男を誘惑しては浮き名を流していた、身持ちのよくない女で、もちろん彼女はロジャーが遺産で受け取る莫大な金を目当てに結婚したのである。

ロジャーも冷静になると自分の軽はずみな行為を反省し、ペネロペに離婚を申し出るのだが、ペネロペのような女が、はいそうですかと、引き下がるわけがない。ウイリアム叔母さんは結婚したものは仕方がないと、自分の屋敷で結婚を祝うパーティーをひらくことにする。そこには町の有力者や友人たちが大勢集まった。殺人が起きたのはそのパーティーの最中である。屋敷に飾られていたナイフのコレクションの一本が盗まれ、それでペネロペが刺殺されたのである。こうして凄惨な連続殺人劇が開始された。

この作品の良さはまず第一に豊かなドラマが展開されていることだろう。恋人が浮気をしていると勝手に思い込み、仕返しのようにほかの女と結婚して後悔するロジャー。また別の若者は、世間を知らずで、悪事に手を染め、逆に脅され親に泣きつく。別の男は材木会社の社長である母親に頭が上がらず、彼女の下で働きながら、逼塞したような人生を送っている。またある娘は巨額の遺産を受け取るが、容貌が醜いがために誰にも相手にされず、遺産を放棄して尼僧になることを考える。そして最後の二人、つまり、母親に頭を押さえられ、逼塞したように生きている男と、誰にも顧みられない女とのはかない恋。そういった愚かな、逆に言うと人間性豊かなドラマがいくつもからみあってこの小説はできている。単に証拠を提示するための無味乾燥な記述ではなく、小さな町に息づいている小さな虚栄や苦悩や悲しみが、実に簡潔な筆致で、しかし生き生きと描かれている。

第二に語り手の人物造形がすばらしい。ウイリアム叔母さんは七十二歳のおばあちゃんだが、頭はしっかりしていて、大きな屋敷の主として雇い人たちには凛として指示を下している。しかも行動力と良識に溢れ、どんな場面においてもユーモアを忘れない女性である。いかにも「酸いも甘いも噛み分けた」という感じの甲羅経た女性であり、かつ何歳になっても人生に積極的に取り組むたくましさを持っている。正直に言おう。私はウイリアム叔母さんに惚れ込んでしまった。そしてこれだけ豊かで立体的な人間像をつくりだした作者の手腕に仰天した。これは並の作家ではない。

第三にミステリとして秀逸である。誰も彼もが怪しく見えるが、犯人は私がまったく想定していなかった人物だった。一部の手掛かりが探偵役のヘバック判事にしかわかっていないという不満はあるけれども、そんなことは気にならないくらいあっと驚く犯人である。

私はこの作品を読みながら三人の別のミステリ作家を思い出した。一人は「レベッカ」を書いたドゥ・モーリア、一人は「死にたかった娘」を書いたE.S.ホールディング、もう一人は「寝台席十番下段の男」のメアリ・ロバーツ・ラインハートである。「ウエストゲイトの謎」には「レベッカ」に見られるような豊かなドラマ性があり、ホールディングが描くのを得意とした異常心理があり、ラインハートばりのスリリングな暗闇の描写がある。ネットを検索してみたが「ウエストゲイトの謎」を取り扱った記事は一つも見つからなかった。これだけの作品がまったく評価もされず無名のまま埋もれているとは驚きだ。私はこれからダービー・セントジョンの作品をすべて探し出して読むつもりである。

前回レビューした作品の作者フィッツシモンズはシナリオ・ライターでもあったらしいが、今回選んだ本の作者も映画関係者だ。imdb.com の情報によると、本名はエリザベス・ビートリス・ベイトソン・レドリッヒ。小説を書いたり音楽の作曲をしていたらしい。