2016年2月10日水曜日

40 デレク・ヴェイン 「フェリーブリッジの怪事件」 

The Ferrybridge Mystery (1920) by Derek Vane (?1856-1939)

物語はこんな具合にはじまる。ギルバートはライラという美少女と恋人同士だったのだが、彼らが住むフェリーブリッジという小さな町にバジルがやってきてから二人の関係はおかしくなる。バジルは女性に対して不思議な魅力を持つ男だ。そしてそういう男にありがちなことだが、彼は男からは嫌われる人間である。バジルは美少女のライラを誘惑し、ライラはついつい彼と密会を重ねるようになる。

ギルバートはライラを信用していたが、母親からバジルとの噂を教えられ、ついにバジルの家へ直談判しに行くことになる。さあ、ここから事件がはじまる。

バジルの家に着いたギルバートは、家の中に誰もいないことを知る。ドアを開けて中に入ってバジルの名を呼んだが、まるで返事がない。そのときバジルの家の電話が鳴り、ギルバートは受話器を取り上げる。電話の向こうから聞こえてきたのは、なんとライラの声だ。「バジル、あなたなの?」と彼女は言う。

こんなときあなたならどう反応するだろうか。ギルバートはバジルの声音を真似て「ああ、そうだよ」と言う。それでライラの反応を確かめようとしたのだ。ところがライラはそれきり黙り込み、電話はとうとう切れてしまう。そのあとギルバートはバジルに会うことなく家に帰る。

翌日怖ろしい事件が新聞に報道される。バジルが家で射殺されて発見されたのだという。バジルの召使いは夜の八時十五分に家を出て、十時に帰ってきたのだが、帰るなり主人が殺されているのを発見した。ギルバートがバジルの家に行ったのは九時ころだが、これは微妙な時間帯で、彼は警察に行って事情を話す前にライラに電話の相手は自分であったことを打ち明けておこうと考える。そうしないとライラが九時にはバジルが生きていた、などと証言するかもしれないからだ。ところがライラはギルバートに、警察に行くのはやめろ、自分とバジルとの醜聞が世間に漏れてしまうと言うのだった。

これが冒頭の部分で、そのあと小説の三分の二が過ぎるまで事件は遅々として進展しない。警察の捜査に関してはなんの言及もなく、探偵役の誰かが活躍することもない。ではその三分の二に何が描かれているのかというと、いわばバジルによってその結合をさまたげられていた二つのカップル、ギルバートとライラ、そしてイルマとリチャードが、次第にその関係を修復して行き、前者は結婚へと向かい、後者は実際に結婚するという過程である。ライラもイルマもバジルの悪魔のような魅力の虜になり、不幸にさせられたのだった。そしてバジルのせいで本当に愛する相手と一緒になることができなかったのである。二組のカップルは愛する相手とのあいだに挟まる忌まわしい思い出、すなわちバジルのことを忘れてしまおうと努力し、その努力は実るかに思われた。

しかしバジルの死を決して忘れない人物がいた。バジルの母である。年老いた彼女はほとんど骨と皮の状態になりながらも、目を煌々と光らせ、人を使って犯人を捜させる。そしてギルバートとライラ、イルマとリチャードにバジルの死を忘れさせまいとするのだ。どんなに二組のカップルが彼らの仲を引き裂く、トラウマ的な出来事を忘れようとしても、そしてトラウマ的な出来事が起きてからどんなに時間がたとうとも、それは必ず回帰してくる、というわけだ。そういう意味でこの小説は精神分析学的な要素を持っていると言える。ミステリとしてはつまらないが、作者が描こうとしているものはよくわかる。

一つだけ気になったことがあるので、最後に書き付けておく。本書の章の冒頭には詩の引用やら諺が書かれているところがある(全章に掲げられているわけではない)。たとえばある章の冒頭にはジェイムズ・シャーリーの「運命から身を守る鎧は存在しない」がひかれ、別の章の冒頭ではロシアの諺「あなたの兄弟の魂は暗い森のようである」が置かれている。こういう衒学趣味は私は好きではないのだが、しかし「ルバイヤート」の「動く指は書き綴り、書き終えてさらに書き進む」という文句が出てきたときは、ふと立ち止まって考え込んだ。「動く指」はアガサ・クリスティの作品のタイトルとして有名になったが、この引用がミステリに最初にあらわれたのはいつなのだろう。匿名の手紙が大きな役割を果たす作品では、よく「動く指」の一節がひかれる。本作は一九二〇年の出版だが、もっとさかのぼれるだろうか。「動く指」=「匿名の手紙」はミステリにおいて常用される換喩の一つであるので、なんとなく気になる。