2015年8月19日水曜日

2 ルイス・トリンブル 「殺人騒動」

Murder Trouble (1945) by Louis Trimble (1917-1988)

小説の冒頭の文章が、物語全体の雰囲気を決定する、という場合がある。L.P.ハートレーの繊細な名作 The Go-Between の出だしなどがその好例だ。Murder Trouble を読み始めた時も、最初の一文がこの作品のトーンをあらわしていると思った。
低く垂れ込めた平らな雲から雪がちらつく、寒くて暗いある日のことだ。
主人公=語り手であるトム・ハラムはサンフランシスコの新聞社で記者をしていたのだが、肺を病み、長いこと保養生活をしていた。しかし医者から静かな落ち着いた生活をするなら、もう実社会に出てもかまわないと言われ、ヴィンソンという田舎町の新聞社に就職することにする。この小説はトムが車でヴィンソンに向かうところから始まる。

肺病、落ち着いた生活、田舎町、曇り、雪。しかも時代は戦時中で、車のガソリンも配給の品である。これは渋い感じの作品なのだな、と私は思った。

ところがこれがとんだ勘違いだった。

ヴィンソンの町に着くまでも妙な事件が起きるのだが、着いてからは決定的に雰囲気が変わる。彼の新しい就職先は、実はイブ・ヴィンソンという若い女性が一人でやっている新聞社だった。トムが加わって社員は二人だ。まあ、それはいい。しかし彼女が新聞社と同時に経営するホテルを管理しているのは、アダムとイブという夫婦者で(アダムとイブ!)、アダムは幽霊のような見かけ、イブはとてつもない巨体の女性ということになっている。

さらにこの田舎町の保安官はサーキネンという奇妙な名前を持ち、その補佐官はバートとマートといううり二つの双子の兄弟。トムはこの二人が区別できなくて苦労する。また重要な犯罪現場となる養鶏場を所有している夫婦は、奥さんが淫乱で旦那は寝取られ亭主だ。

これはもうドタバタ喜劇の配役である。

実際、語り手がヴィンソンに着いてからは得体の知れない事件が立てつづけに起き、まことに珍妙な話の展開になる。

そうか、渋い感じの話じゃなくてドタバタのほうに行くのか。それならこっちも気分を変えてスラップスティックを愉しもうじゃないの。私はそう思った。映画の「フロム・ダスク・ティル・ドーン」みたいなものだ。

いったん心構えができれば、これは非常に楽しい物語だ。といっても筋のおもしろさを説明するのは難しい。語り手も何が起きているのかわからないような展開なのだから。

まず新聞社の女経営者イブ・ヴィンソンがまったく知らない人から遺産を受け取る。そんな夢のような話があるのだろうか、と思っていたら、その直後に遺産を渡した男が、トムの新居に死体となって転がっているのが見つかる。ちょっと待て、ちょっと待て。この男は死んだから遺産を渡したのじゃないか? それがトムの家で殺されている? どういうことだ? 死体をわざわざトムの家まで運んだのか?

どうもよくわからない。ま、ここは心を落ち着けてもう少し読んでみよう。

トムとイブ・ジョンソンが保安官の到着を待っていると、外で爆発が起き、二人は家を飛び出す。そしてその間に何者かが死体をどこかに運んで行ってしまう。

ははあ、犯人は死体をどこかへ持って行く必要があったのだな。爆発騒ぎはトムたちを家からおびき出すための工作だったのだな。

しかし、どこまで読み進んでも状況ははっきりしない。イヴ・ヴィンソンが自分の過去を明かしてくれて、ようやく多少の目鼻が立つが、すべてはわからない。ひたすら奇妙な事件ばかりが起き続ける。トムは独身なのに、彼の妻を名乗る女があらわれ結婚証明書を提示するし、物語の後半に入るとトムとイブ・ヴィンソンは首なし死体を車で運び、養鶏場でべつの死体を発見し……。いやはや、トムたちは次から次へと事件に巻き込まれ、読者は奇矯な登場人物たちのリアクションに大笑いし、私はわかりやすく筋を紹介することができずに困ってしまうというわけである。

もちろん最後にはこの大騒動の種明かしがされ、戦時中らしいある犯罪にトムがまきこまれたことがわかる。しかしこれは前回扱った The Clue とは違って、推理を愉しむ作品ではない。犯罪をめぐるユーモラスな大混乱を愉しむべき作品である。そしてそういう作品としてはかなり優秀の部類に属する。

首なし死体を運んだり、生首を放り投げたりする場面もあるけれど、けっして趣味の悪い描写には陥っていない。静かな落ち着いた生活を求めて来たのに、こんなことになるなんて、というトムのぼやきと、新聞記者らしい頭の回転の速いジョークが全体に明るい色調を与えていて、私は大学の先生をしていたというこの作者の作品にまた出会うことがあったら、必ず目を通すことになるだろうと思う。