2015年8月15日土曜日

1 キャロリン・ウエルズ 「手掛かり」

The Clue (1909) by Carolyn Wells (1862-1942)

本編はヘイクラフトとクイーンの里程標的名作リストにも載っており、このブログの一番手に持ってくるのにふさわしい作品だろう。名作と言われていても日本語に翻訳されていない作品はけっこうある。

作者のキャロリン・ウエルズはニュージャージーに生まれ、詩人・児童文学作家であり、かつミステリの書き手でもあった。ずいぶん多作な人で、私もがんばって読むようにはしているけれど、今のところ本編 The Clue と The Man Who Fell Through the Earth (1919) が際だってよい作品のように思える。ちなみに後者に関しては古い日本語の翻訳があるようだ。

The Clue の一番の特徴は、物語が、当時まだ盛んに書かれていた大仰なメロドラマに陥ることなく、一歩一歩論理と事実の積み重ねによって進められていく点にあると思う。たとえばこんな具合だ。結婚式の前日に富豪の娘マデライン・ヴァン・ノーマンは椅子に座ったまま死んでいるところを発見される。すぐそばのテーブルに、「結婚相手はわたしを愛していないようだ」という書き置きがあったことから、医者や周囲の人々は彼女が愛情問題を苦に、短剣で胸を刺し、自殺したものと考えた。そして自殺という観点からそれまでの彼女の行為や人間関係が振り返られる。ところが短剣には血がついているが、それを握っていたはずのマデラインの手には血がついていないことが分かり、他殺の可能性が疑われるようになる。ここで事件の様相ががらりと変わるのだが、こういう論理による物語の推し進め方はミステリというジャンルの醍醐味である。The Clue は一九〇九年という早い時期に書かれているが、こうしたミステリの筆法をよく使いこなしている。しかも最初にマデラインが自殺したと考えられ、その根拠が説得的に示されるものだから、読者はある人物を犯人とは考えにくくなってしまうのである。ここらへんのミスディレクションの手際はたいしたものだ。

先走ってプロットを一部紹介してしまったが、この作品の出だしはだいたいこんな感じである。富豪の娘マデライン・ヴァン・ノーマンはスカイラー・カールトンという青年のプロポーズを受け、彼と結婚することになる。ところがスカイラーは冷淡なくらいに淡泊な人物で、婚約をしたというのに、いつもマデラインに対してよそよそしい態度で接するのである。そこでマデラインは女のコケトリーを発揮し、ほかの男といちゃつくところをスカイラーに見せ、彼を嫉妬させようとする。その相手が彼女の従兄弟のトム・ウィラードだった。トムはたいへんな情熱家で、彼女に向かってスカイラーとの婚約を取り消し、自分と一緒にならないかという。しかしトムは彼女にとってスカイラーを自分により引きつけるための道具にすぎない。

そんなマデラインに衝撃を与えるある事実がわかった。スカイラーは彼女と婚約して以後、彼女とはまったくタイプの違うある女に出会い、その女を愛しているらしいのだ。

こうして緊張をはらんだままマデラインとスカイラーは、結婚式の前日を迎える。マデラインの住む屋敷には結婚式への招待客があつまるのだが、彼女はその前でトムといちゃついてみせる。これはさすがにやりすぎだろうと、私ははらはらしながら読んでいたのだが、案の定スカイラーは腹を立て、マデラインの屋敷で招待客たちととるはずの晩餐会を欠席。マデラインは最初は平気な振りをしていたが、とうとうヒステリーを起こし、客たちを自分の前から追い払ってしまう。

悲劇が起きたのはその直後である。客たちがみな自室に引き払った夜中の十一時半、屋敷の中に叫び声が響き渡った。屋敷に戻ってきたスカイラーが、図書室の椅子に座ったまま死んでいるマデラインを見つけたのである。床の上には短剣が転がっており、そばの机の上にはすでに述べた書き置きがあった。

その後、招待客の中の愛らしい娘キティと、スカイラーのベスト・マンを勤めるはずだった法律家のロブがコンビを組んで素人探偵になり、招待客たちが事件当日の晩、何人も怪しげな行動を取っていたことを突き止める。その疑惑が一つ一つ解明されるたびに、事件の真相・登場人物の心理や過去がしだいしだいに分かってくるのだ。このあたりの物語の展開は非常にテンポがよく、キティとロブの恋模様が物語にある明朗さを与えていて、読んでいてまるで飽きなかった。クリスティなどが書いても、事件が起きてからの中盤の部分は一本調子の非常に退屈なものになることがあるのだから、ウエルズのこの作品に於ける物語作りの巧みさはやはり褒められるべきだろう。

ただし最後の二十数ページで活躍する名探偵フレミング・ストーンの推理は、ちょっとずるいなと思う人がいるかもしれない。私もフェアじゃないと思った。すくなくとももう少し工夫があってもいいだろう、せっかく冒頭においていくつかの手掛かりからささやかな推理を展開して見せたのだから、最後もその伝で行ってほしかった、というのが正直な感想である。しかし逆に言えば、立派なパズル・ストーリーまであと一歩ということであり、書かれた年代を考えれば、ミステリが誕生する歴史において本書が記念碑的足跡を残していることは疑いない。