2016年1月13日水曜日

35 ポール・マクガイア 「三人の魔女登場」 

Enter Three Witches (1940) by Paul McGuire (1903-1978)

ポール・マクガイアのことはまったく知らなかったので調べてみるとオーストラリアの外交官だったのだそうだ。アデレード大学を出てから生化学者の女性と結婚し、一九三〇年代はミステリを書いていた。ミステリは十六作ほど作品があるが、ほかにもノンフィクションやら歴史書やらいろいろ書いているようだ。若い頃からカトリックのインテリとして知られていたらしい。第二次世界大戦中はオーストラリア海軍に所属し、戦争後は新聞記者となり、さらに一九五四年から五八年にかけてイタリアでオーストラリア大使をしていた。こういう経歴を知ると本書のような作品を書くのも不思議じゃないと納得がいく。ヨーロッパの緊張した関係を背景にしたサスペンスなのである。もっともその中心にあるのは破滅的な人生を送るイギリス人の画家の運命なのだが。

この作品もなかなか事件の形が見えてこない。主人公は新聞の特派員であるアンソニー・グラントで、三人称だが物語は彼の視点から語られる。グラントはイギリス人だが、どのような背景の持ち主なのか、詳しくは書かれていない。もしかするとほかの作品にも登場していて、そこで説明されているのかもしれないけれど。しかしイギリス人にしてはアメリカのパルプ小説に出てくる主人公のような口のききようをする。
 ブイユ夫人「ベルガンテっていうスペインの作家知っている?」
 グラント「百姓のたちの惨めな生活について書いていたね。ぼくの知り合いだった。一年半ほど前に死んだよ」
 ブイユ夫人「死んだ! どうして?」
 グラント「百姓たちが自分たちの惨めな生活をネタに小説を書かれることに嫌気がさしたんだろう。それで撃ち殺したのさ、たぶん」
あまり品がいいとは言えないが、一筋縄ではいかないタフな男である。

グラントはイタリアに滞在中にブイユ夫人という億万長者から週末、彼女の屋敷に遊びに来るよう誘いを受ける。山の中の屋敷に行くとそこには彼のほかにも大勢の客がいた。彼を知っているという(そして彼は彼女のことを知らない)謎の美少女、イギリス人の保険調査員、海上封鎖をかいくぐって不正な金をもうけている男、ブイユ夫人の女友達、イタリア人の青年、グラントの気の置けない元闘牛士の友人、そしてもう一人、一年半間に死んだはずのスペイン人作家ベルガンテだ。

ブイユ夫人をはじめ客たちは全員がベルガンテに異常な興味を示すのだが、作家は身をかわすように屋敷に着くなり自室に引き籠もってしまう。そして次の日の朝を迎える前に姿を消してしまうのである。グラントはいくつかの状況証拠から殺人が行われたのではないかと疑い、なぜ自分がブイユ夫人の屋敷に招待されたのかという理由も含めて、調査を開始する。その過程で浮かび上がってきたのが、ヨーロッパを放浪し、女を愛し、裏切り、酒におぼれ、無頼の人生を送った一人の画家の人生だった。

正直に言ってあまりピンと来ない物語だった。まず主人公のグラントがどういう人物なのか、よくわからなかった。彼の過去についてはほとんど情報がなく、彼の立場からものを見ようとしてもそれができないのである。先ほど言ったように、もしかすると彼はシリーズものの主人公で、先行する作品を読んでいれば、もっと彼に感情移入できるのかもしれないが。また、画家のこともよくわからない。彼がどうし破滅に向かって突進していくような人生を歩むことになったのか、そこが説明されていないのである。じつのところブイユ夫人もベルガンテもほかの登場人物も、みんな現実から浮遊しているような感じがする。誰一人、その背景をしっかりと説明されていないのである。

本編は推理小説ではない。スリラーとかサスペンスと言われるジャンルに属するだろう。しかしスリラーにしろサスペンスにしろ、それほど優れた作品ではない。謎の構成の仕方がいささか弱すぎるのである。ベルガンテの犯罪を中心に描くのか、画家の人生と彼にまつわる人々のことを中心に描くのか、そこがはっきりしないまま、両方とも描き込もうとした気配があり、それが分裂したような、散漫な印象を与えるのだと思う。

しかしこの作者にはどこか知的なところがあり、そこは気に入っている。たとえば
 「あなたって複雑な人ね」
 「いや、ぼくはアメーバのように単純さ。ただ引き攣り歪んだ状況の中にいるだけさ」
のような会話にそれはあらわれている。私の言葉で言うと、ある人が結ぶ外界との関係性が、その人の内面として誤認されてしまうということを、この会話はさりげなく示している。